雨降る中差す傘も無く、彼はそのまま佇んでいた。
足元を流れていく雨水で、泥にまみれていたアスファルトも清められただろうけれど、だからと座り込む気は無い。疲れは無い。
狭い道だ。通り抜けることは出来るが、進んだ先にあるのは廃ビルの裏口が二つと猫一匹すり抜けるのがやっとというような建物の隙間。実質上の袋小路。
その道を進んでも意味の無いことを路地の中ほどで思い出し、かといって戻ることにも意味は無いのだと気が付いてしまった。初めからこんな場所へ迷い込まなければそもそもこんなことにもならなかったろうが、まだ不慣れなこの街、小さな脇道一つの行く先を、そこへ入り込む前に思い出すことは出来なかった。
その中途半端な路地の途中にじっと留まっているのも意味無いことだと、もちろん彼は判っていたが、出来るなら無駄な動きなどしたくなかった。疲れ難い身体を持ってはいるが、疲れないわけではない。
早く雨が止んでくれまいかと思った。雨は苦い思い出が濃すぎるのだ。動く気力も体力も、ことごとく奪い去ってゆく。粉々に砕き散らせて行く。そして雨が止むまで、それを拾い直し修復することは、決して叶わないのだ。
早く、雨が、止まないだろうか。
路地を形作るビルに遮られた、雨雲が満遍なく覆う空を見上げたら、足元でくぅんと鳴く声が聞こえた。
見下ろす先、この世に存在を固持し出してから数ヶ月といった風情の、灰色の犬が一匹。あるいは、元々は白の毛並みだったのだろうか。
身体を摺り寄せてくるのは、懐っこいのではなくノミでもいて痒いからだろう。
手を伸ばして、掻くような撫でるような、中途半端な動きで触れた。ふと思って、腹の内へ抱え込み、雨よけになってやった。くぅんとまた鳴いて、犬が彼の腕を一舐めした。
「……寂しいな」
吐き出されたその言葉、彼は、それを自身のために言ったのか、それとも犬へ向けたのか、全くもって判っていなかった。
雨は、もうしばらく、止みそうになかった。