モノクロ
 二十六歳にして、私はようやく一人暮らしを始めた。実家からは電車を三本乗り継いで二時間の距離。通勤時間は一時間以上も短縮される。何より、面倒だった電車の乗り換えが無くなったのが嬉しいところだ。
 2K のフラット。何軒もの不動産屋をまわりながら、日差しの入り具合と近所の物価の安さ、交通の便の良さに引かれて決めた部屋だ。母や祖父母たちからは、独立祝いに電化製品の半数ちかくを揃えてもらってしまった。
 引越しを決行した初夏の土曜日、まだ片付けきらない荷物の中から、私は一つの写真たてを取り出した。ガラスが割れないように何重にも重ねたパッキンを剥ぎ取る。シンプルなスチールのフレームの中には、伝い歩きをする赤ちゃんの姿。満面の邪気のない笑顔で、右手をテーブルの縁に、左手をカメラの方に差し出している。小さな私。
 父が死んだのは私が四歳のときだ。秋の晴れた空が広がる日曜日に、交通事故に遭った。私の中には、父の微かな面影すら残っていない。だから、父に関して私が知っていることはすべて、母や祖父母から聞かされたものだ。
 写真が好きな人だったという。時には同じ写真好きの友人宅の暗室を借りて、自分で現像までしていたらしい。
 父の撮った私の写真は何十枚とあるが、父が自分の手で現像したのは、この伝い歩きの写真だけだ。カラーではなく、白黒の写真。父はなぜ、この写真の現像だけは他人の手へゆだねなかったのだろう。なぜ、モノクロで撮ったのだろう。どうしようも無いとわかっているけれど、今でも私は、父に直接きいてみたいと思う。