改札
「どこに行くんだろう」
 その日はなぜか気が向いて、最後尾の車両に乗った。私の降りる小さな駅には、改札が一つきりしかない。だというのに、同じ車両に乗っていた人たちのうち二、三人が、改札へ繋がる階段とは逆方向へ歩いていっていた。
「どこへ行くんだろう。知ってる? ハルカさん」
 特別仲が良いわけでもない、クラスメイトの鈴木春香さん。今日は偶然、下校時間が重なった。
「……知ってるわよ」
「ほんとう? あの人たち、どこへ行くの?」
「あの人たちは、向こうへ行く人たちは、消える人たちなのよ」
 一瞬、間が空いた。
「消える?」
「そう」
「自殺、とかそういう……」
「それは消えるんじゃなくて死ぬっていうのよ。違うわ、消えるの」
 私はなにも言えないでいた。ハルカさんは改札へ向かって歩き出した。後を追う。
「この駅のホームの端は、普通に行ってもただ終りがあるだけ。でも、向こうが自分の行く場所だと、当たり前のように自然に思って行くことがある。そんなときその人には、ちゃんと改札がある。その改札を通ると、その人は消える。泡か夢みたいに、存在が無くなってしまう」
「周りの人は?」
「ぽっかりと、その人の場所はカラになる。その空白には、誰も気づかない」
「だって、子供とか奥さんとか――」
 さっき見た向こうへ行く人たちの中には、中年サラリーマンの姿があった。
「すっかり忘れてしまうの。忘れたという感覚だって残らない。遠い昔に亡くなったのだったか、つい最近失踪でもしたのか、原因なんて曖昧で覚えてなくて、でもそれを不安に感じたりしない。そのうち、本当にすっかり忘れてしまう。自分に父親や夫がいたことなんて無かったように思うようになる」
 私たちは階段を上っていた。改札を出たら、私たちは左右に別れる。私は東口、ハルカさんは西口へ。
 私は、最後の疑問を口にした。
「ハルカさんは、どうしてそんなに向こうのことを知っているの?」
 彼女が、ほんの少し上を向いた気がした。
「私のお父さんが、消える前に、私に電話をくれたの。携帯電話から。『春香……信じられないだろうけれど、どんどん人が消えていくんだ――父さんも行くよ。きっと無理なんだろうが、出きるだけ長く、父さんのことを覚えていてくれないか。わがままで、無責任でごめんな……』――今じゃ、お母さんも弟も、お父さんのことを覚えてない。私だって、今まで忘れてた――中野さんに聞かれるまで忘れてた」
 私の頭はうまく働かずに、ハルカさんの言葉を懸命に理解しようともがいていた。その間に、ハルカさんはさっと改札を通って、こちらを振り向いた。
「よくわからないけど、きっと中野さんは平気よ。向こうへ行くことは無いわ。でも、多分――私は向こうに行くかも知れない。もし良かったら、私のことを、出きるだけ覚えていてくれる?」
 そういって、彼女は足早に歩いていった。私は、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。