「あっ」
弟の叫びが空気に溶けるよりも速く、壊れた蝶のかけらはちりぢりになって、わたしたちの目前を風に飛ばされていった。西へ、東へ、上へ、下へ、ひらひら。弟もわたしもどこを見ていいのかわからなくて、ただ、たった一瞬前まで蝶のいた籠をみつめた。
「おねえちゃん……」
弟が振り返った。その目にじわりと涙が浮かぶ。
弟の声は甘い。声がわりは済んだというのに、とても男の声には聞こえない。目に溜まった涙が、声に艶を増させている。
壊れた蝶は、弟に似て美しかった。かろやかで、しなやかで、翅は紫紺に輝いた。
「どうしよう」
蝶は弟の命だ。わたしがこの花を枯らしては生きられないように、蝶が死ねば、彼の命はそこで尽きる。また、花が人の支配下で生きるにはプランターが要るように、蝶が人の側で生きるには籠が要る。籠から出た蝶は、その形を保ち続けることはできない。
「どうしよう」
わたしは、弟を抱きよせる。腕のなかにおさまった弟の体は、恐怖でがちがちにかたまっていた。もう、背丈の差はほとんどなくなってしまったなと、場違いであることを自覚しながらもわたしはその事実に抗いがたい寂しさを感じた。
「だいじょうぶよ」
わたしは弟の耳元にささやいた。
「だいじょうぶ。蝶はね、百日のうちにすべてのかけらを見つけてあげれば、元通りになってくれるわ。生きてくれるわ」
弟の体にじわりとやわらかさが戻ったことを、私の腕は鋭敏に感じとった。
「ほんとう?」
わたしは、弟から少しだけ体を離して、ふんわりと頬笑んでみせる。弟が安心する笑顔の種類を、わたしは正確に知っている。
「わたしは、あなたにうそは吐けないわ」
弟もまた、ささやかな笑みを浮かべた。その表情がどれほどわたしの心を動かすか、彼は知らない。
命である蝶が壊れてしまった以上、弟は、じわじわと動くことができなくなっていく。蝶のかけらは、わたしが探しに行かなければならない。
「ねえ、わたしの花をお願いね。どうか枯らさないでね」
プランターに咲いたわたしの命を弟に託し、わたしは街にでた。弟の蝶を、蝶のかけらを、わたしはすべて探し出さなければならない。