豊春という小さな都に、ふたりの兄弟とひとりの姉であり妹である女が住んでいた。三人はお互いを愛し合って、ゆるやかに壊れることのない日常の中にいた。
けれど彼らを狙う狼が五匹。そしてその狼に従う人間がひとり。問題はたった一つ。狼にかしずく人間は、三人の中にいたということ。
「永遠[はるか]! 永遠、いる?」
小さな出窓から身を乗り入れて、世界は彼女の名を呼んだ。
「なあに、世界。どうしたの?」
いつもと変らぬ微笑みで、いつもと変らずゆり椅子に座り、いつもと変わることもなく、永遠は陽だまりの中にいた。
「そんなに大きな声を出さなくても、私はいつでもここにいるわ」
常に浮かべる微笑みに、世界に向ける分をプラスして、永遠はさらにふわりと笑った。
そんな永遠を見て、世界も幸せ一杯に笑う。
「あのな、これ持ってみて」
胸に抱えていたそれを、世界は永遠の膝に乗せた。
にゃぁおとそれは、小さく鳴いた。
「猫……?」
永遠はそっとその猫に触れた。心地よい手ざわり。
「気持ちいいだろ、触ってると。まだ仔猫なんだ。白に黒いブチがたくさんある。右耳は黒くて、左耳は白なんだよ。それと、足の先が全部黒で、くつ下みたいで。しっぽは全部白いんだ。それと、これが一番すごいんだぜ。右目は緑で、左は青なんだ。瞳の色が違うんだよ!」
世界は、仔猫の姿を詳しく描写した。永遠は眼が見えない。そして嗅覚もない。
「本当に? きれいな緑と青なの?」
「うん! すっごく透明で、俺が知ってるどんな青と緑よりきれいなんだ」
永遠は仔猫の方に顔を向けた。十一で光を失った永遠には、まだ視力があったときの癖が残る。
「すてきね。世界、ありがとう。とってもうれしいわ。やっぱり動物は大好きだわ。そばにいるだけで、気持ち良くなってくの」
優しく柔らかく微笑む永遠は、仔錨を抱えあげて頬ずりした。
世界は出窓の枠に腕を乗せて、じっと永遠を見つめた。
(きれいだよなあ……)
思う。
胸の大きく開いた赤いドレスが、不思議なくらいよく似合う。永遠に『赤』のイメージはないのに、『白』が一番にあうんじゃないかと思えるのに、彼女は赤のドレスを美しく身にまとう。
ぼんやりと見とれていると、出窓と正反対の壁にあるドアが開いて、男が顔を覗かせた。
「王?」
世界よりも早く、永遠が声を上げた。閉じられた瞳を向ける。
「良く分かりますね」
低く響くその声は、部屋に静かに拡がった。
(何で俺より永遠の方が先に気付くんだよ)
憮然とした物を漠然と感じて、世界は軽く頬をふくらます。
「ああ、世界もいたのか。入っておいで、お昼ご飯ができてるよ」
(その上、俺に気付くの、遅いし)
半眼で王をにらむ。けれど王の瞳は、すでに永遠に向いていた。
「永遠、その猫は?」
腕の中の仔猫を見つけて、王は尋ねた。
「俺が持ってきたんだよ。永遠、動物すきだから」
途端、世界は得意げに口を出した。
「そう。世界は永遠が好きですね」
首だけを振り向かせて、王は笑った。永遠と似ている、穏やかできれいな笑顔。
「……っ」
まっすぐに見つめられながらそう言われ、世界は瞬間ひるんだ。
「王もでしよう?」
世界が何かを言いだす前に、永遠が美しく言葉を紡いだ。
「王も私を好きでしょう? 私も王と世界が好きで、世界だって王が好きで、王も同じように世界が好きで、私たちはみんな、お互いにお互いを愛しているでしょう?」
自然に静かに甘い声で、永遠は囁く。
「ええ」「うん」
王と世界は同時に答えた。それだけは絶対に、という強い瞳で。
豊春では人が狂う。人に狂気を植えつけて、精神崩壊度に金を賭ける。肉体の戦いを種とする正式賭博。それと対なす、裏賭博。
つい一月前に、一人の女が川で死んだ。裏賭博の元締めたちに雇われた男を愛し、その男に裏切られ、常人ではあり得ない浅瀬で死んだ。