うちのクラスは男15人と女16人を合わせて計31人。新学年が始まった日の最初の多数決で、日直は一日につきひとりだけと決定した。一日の仕事量は多くても、まわってくる回数が少ない方がいいというわけだ。ふざけた結論だ、と俺はそのときこっそり毒づいた。おかげで俺の楽しみは、ひと月に一回もやって来ない。
日直は、一日の締めくくりに日誌を書かなければいけない。三時半を過ぎた、ほんの少し傾きかけた太陽が斜めに差し込む前から三番目、窓際の席について、貴志は鉛筆をすべらせている。冬の窓辺は、陽のあたる机上と陰った足元の温度差が激しい。
貴志が日直に当たる日の放課後、俺はいつも貴志のひとつ前の席を占領する。そうして、貴志が日誌を書き上げるのをじっと、見つめている。
もし貴志が、「高校を卒業したら漫画家になる」と言い出したら、このクラスの人間は全員納得するだろう。それくらい、貴志は絵がうまい。美術部には入っていない。公立高校の部活動じゃ、貴志にはレベルが低すぎるんだ。
黒一色のボールペンで殴り書きされたページや、何色使ったのかぱっと見ではわからないほどカラフルなページに混じって、貴志はやわらかな鉛筆の線で日誌を書く。――というよりも、描くと言った方が正しい。「今日のできごと」なんていう、日誌の半分をでかでかと占めるスペースに、貴志はイラストをつける。日直に当たったその日に起こった、ほんのささいな、気付かずに見過ごす人間も多いだろう出来事を独特の繊細なイラストで描き表す。最初はまゆをしかめた担任も、貴志の絵の緻密さを見ると黙認するようになった。
普段はちょっと信じられないくらい不器用な貴志の指は、絵を描くときにだけ、とんでもなくなめらかな動きを見せる。俺はそれを見ているのが好きで、貴志が日直に当たる日だけを楽しみに待っている。
「何回目だろうね」
じっと貴志の指だけを追いかけていた俺は、その声にはっと顔を上げた。窓枠に背を預け、横向きに椅子に腰掛けた格好で、俺は貴志を斜め上から見下ろしていた。日誌の上に覆いかぶさるようにして、貴志は指を動かし続ける。貴志がこちらを見てはいないことを改めて確認してから、俺はそっと、視線だけを貴志の手元に戻した。
「去年からだからな。それでも、二十回はいかないだろ」
貴志と同じ教室に通うようになって、丸二年が過ぎようとしてる。初めて貴志の絵を見たときの衝撃は、とても忘れられない。鉛筆がつくった線でしかないはずなのに、俺はそこに、現実とはまったく違う新しい世界を見つけた気がしたんだ。それは貴志にとっては走り書きにすぎなかったのに。そのときから、俺は貴志が鉛筆を通して生み出す世界にのめり込んでいる。
貴志は、俺がどれだけ貴志の世界に心酔しているか知っている。だから、日誌をつけるときに側にいることを、認めてくれている。――けれど、俺が貴志の指を見つめ続けるもうひとつの理由を明かしたら、変わらず側にいさせてくれるだろうか。
「ずっと見られてる気がするのに、考えてみると少ないもんだね」
下を向いたままわらう貴志の伏した目元に、俺の視線は吸い寄せられた。貴志の描く世界と同じくらい、俺は貴志自身にも捕らわれているのだと、彼は気づいているのだろうか。
いつか、聞いてみたいんだ。お前のその指で、俺の体を犯される場面を想像して、夜にはその妄想で空しい時間を過ごしたりする――そんな俺のことを、お前は許してくれるか? って。