あと一日早ければと、老婆は繰り返す。そのいちいちに感情が込められていて、聞かされている方の気が滅入る。もし自分が昨日のうちにこの屋敷に着いていたとして、なにが出来たろうか。彼女の両親に心の準備をと言う以外のなにか。死に瀕したいたいけな少女が、偉大なる医師の手腕によって回復する? そんな話、皮肉にしかならない。
彼は名をシュガゼという。女のような名だ。chougazzet。最後にaの音がついてシュガゼッタとなれば、正真正銘女の名だ。
お嬢さんの両親は、まだ娘につきそっているそうだ。娘の命を救い損ねた医者の顔など、見たくもないだろう。一度も顔を合わせないまま、帰ることになるかもしれない。そもそも、屋敷の中に招かれる必要もないはずだった。名乗った門の前で、そのまま引き返していて当然だった。患者が死人になったなら、医者は無用だ。
どうかお入りください、と言ったのは、今彼の前を歩いてゆく老婆だ。お嬢さまの話をさせてくださいと。お嬢さんの死を語らうには、主と使用人の間には溝があるらしい。ていのいい相手だろう、二度と会うことはない人間だ。
廊下を歩いてゆく。一メートルと少しの間隔をあけて窓が並ぶ。見えるのは雑然とした庭だ。手入れされてはいるのだろうが、植物たちはずいぶん野放図に伸びているように見える。
老婆が顔をあげた。もとから緩やかだった歩調をさらに緩慢にして庭を見る。
「あそこに、紅い花がございますでしょう」
シュガゼは首を動かす。しかし、窓の外に見えるのは淡い青や紫ばかりだ。無言で老婆を見る。彼女は微笑んで、自分の立っている位置を示す。近づいて、老婆がのぞいている窓に同じように視線を向ける。背高い木に隠れていたその花が現れる。
死人花。
シュガゼの脳裏に浮かんだのは、その名だった。彼は祖父から、その不吉な名前を教えられた。
「美しい、花でございましょう」
シュガゼは安易にはうなずけない。忌むべきものだと教えられた花だ。けれど。
「お嬢さまが、特別に異国から取り寄せて、庭師に植えさせた花でございます。とてもきれいな色だとおっしゃって」
老婆のいう異国とは、もしかしたらシュガゼの母国かもしれない。きっとここが、重苦しく肺を圧迫する、あの人が沈む墓地ではないからだろう。死人花は、曼珠沙華という方がずっと似合う姿にみえた。
美しいかは知らないが、シュガゼには気に入った。お嬢さんに挨拶することは叶うだろうかとふと思う。