世界は幸せになった。かつてない穏やかさが支配するようになった。そして自殺者も増えた。すべては夢の処方箋が出されるようになってからの話だ。
残された人間には自殺する者の気持ちがわからない。昼の世界でどれだけの苦渋をなめようと、夜になれば望む世界へ必ず行ける。人生の半分の安楽は保証されている。夢の処方に金はかからない。害もない、間違いもない。夢という蜜を無思慮にむさぼる人間には、約束された生を手放す理由がわからない。
だがしかし、この数年で自殺者数を表すグラフは確かにゆるやかにのぼり続けている。事実私も、ここ数週間自殺することを考えている。
夢見る安全はどの方面からも保証されている。夢の処方が間違うことはない。処方師との厳重なカウンセリングの上で決められて処方された夢が、人の心を害することは万にひとつもない。また、見てはならない夢もない。夢というのはすべてが人の頭のなかの出来事だ。夢によって非難されるのは、思想を糾弾されるのに等しい。夢が処方されるようになってもう五年に近い。環境は万全と言ってよい。
しかしそれでも、今私は、夢から逃れるために生そのものを手放すことを考えている。きっかけはたった一夜だ。一ヶ月以上も前のその夜の出来事に、私は今もってとらわれ続けているということだ。
その夜私はふと頭を上げた。壁にかけた時計の、青白く浮かぶ針を見た。四時四十二分。ずいぶん夜更かししてしまったなと軽く後悔した。そして次に違和感を覚えた。私はこの時間まで、ずっと起きていたのだろうか。
いや、改めて記憶をさかのぼるまでもない。私はほんの数秒前まで眠っていた。まとめねばならない資料の山に飽きて、机の前で舟を漕いでいた。処方がなくとも夢は見る。その内容が私の手を離れるだけだ。私はその事実を久しく忘れていた。
見たのは仕事の夢だった。机の前に座って資料のひとつに目を通している。夢が処方される以前にはよく見た類の、ごくありふれた夢だった。
私は自分の間抜けさを笑おうとした。あんな夢だったから私は自分が眠っていないなどと妙な勘違いをしたのだ。そう考えて済まそうとしたが、しかし私は笑えなかった。私は見た夢のあまりの生々しさにあてられていた。ただ現実味のある夢だというのではない。なにもかもが鮮明に過ぎた。だからこそ私は自分がずっと起きていたと直感的に錯覚したのだ。あまりに現実と変わらぬ夢は睡眠を睡眠と認識させないのだと、私はその時気がついた。夢と現実は継ぎ目なく、まるで茹でた卵の白身のようななめらかさでひとつにつながっていた。
私はそれでも頭をひとふりして気を紛らすと、寝室へ向かった。改めて寝直すつもりだった。朝の光のなかで目覚めればこの奇妙な気分も直るだろうと思った。そして、明かりを落として闇のなかで布団にもぐり眼をつむろうとしたとき、私の思考は魔にとらわれた。
今眼を閉じたら、その瞬間にまた眼が覚めるのじゃないか。今この時も私の本当の体はたとえば街のどこかでうたたねでもしていて、この世界は私の意識が見ている夢に過ぎないのじゃないか。
馬鹿げた妄想だと笑う者は多いだろう。私自身、自分の脳裏に浮かんだこの考えに思わず口元がひきつった。しかしどうしても笑い飛ばせはしなかった。
その晩から私は、今が現実ではないのではないかという恐怖、そしてどこまで行っても現実か否かを見極める手段はないのだという虚脱感につかまった。夢の処方箋に頼って生きるようになり、夢は現実の合間にあるおぼろな幻ではなく、現実と同等の重みをもって生を占めるものになっていた。その夢が怖いものになってしまった。現に疲れて夢に逃げたはずが、夢に追われて現を失った。
人の記憶は、薄れはしても消えはしない。一度脳の回路を巡った考えは、二度とその道を忘れはしない。
死は恐ろしい。しかし今の私は、それ以上に休息を求めている。二度と夢を見ることのない、真っ暗な眠りに横たわりたい。