騙り手
 役人に問われて、「曾祖母は僕の生まれる前に死にました」と兄は答えた。真実ではない。けれど私は兄を責める気にはならない。
 同意はせず、しかし否定もせずに、私はじっと口をつぐんでいた。沈黙は罪ではない。罪は騙ることだ。知らぬこと、確かでないこと、わからないことを音にするくらいなら、永遠に沈黙を選ぶ方がずっと潔くうつくしい。
 兄は言葉を接ぐ。真実ではないが許されない嘘でもない。私たち兄妹の身を守るためのものだ。
「曾祖母の来歴は我が家の系書にありましたので把握しています。しかし彼女自身が書き残したものは一切残っておりません。彼女の存在については記録が残るのみです。僕たち兄妹は、曾祖母の影響を一切受けずに育ったと断言します」
 この面談は最初の一段階に過ぎない。もし順調に審査が進めば次は私たちの住む家に調査が入り、曾祖母の書き残したものが真実文字ひとつ存在しないことが確かめられ、さらに改めて私たち一家の系書に目が通され、それが当局の記録と突き合わされる。経済状況の申告に偽りがないことが確かめられ、兄の勤め先と私の通う学校にも身上調査の連絡が入り、最後にひとりずつ受ける個別面談が予定されている。救済金が下りるまで、ゆうにふた月はかかるだろう。兄に与えられる給与は成人した男と十五を過ぎた女が食いつなぐには厳しい額であり、当局に睨まれる存在を曾祖母に持つ私たちのような者には保険会社も簡単には規定の額を払ってはくれない。両親が揃って他界して十日足らず、私たち兄妹に悲しみを噛み締める余裕はない。
「あなたの母親は? 祖母の影響を受けずに生きていたと言えますか」
「母は曾祖母と会うことはほとんどなかったと聞いています。母も、曾祖母の息子である祖父も、事実を愛し実直さをむねとしていた人間です。どうか理解してください。あのような存在が身内にあると、かえってひとは道を踏み外すことなく歩むことができるのです。強大な悪は、その影でもって正しさの何たるかをはっきりと示すのです」
 兄の声は揺るぎない。この会話には私たちの行く末が握られている。平凡な社会の一員としての波風のない人生か、矯正所での砂を噛む日々か。兄はうまくやっている。私はその横でただじっとこの会話に耳を澄ませていればいい。悪にこそ惹かれるという性も人間は持つものです。役人は執拗に兄を責める。少なくとも三十分は納得しないことが彼の仕事なのだ。仕方がない。
 兄は役人との会話を続ける。私はいかなる表情も浮かべず、脳裏でゆるやかに曾祖母の声を思い出す。曾祖母が騙ることは百年前の遺物だった。現在では禁じられた行為による産物が、曾祖母の頭には渦巻いていた。役人の言は確かに一面においては正しい。曾祖母の話はおぞましく、だからこそ彼女の声は私の頭にこびりついて消えない。
――むかぁし、むかし……。
 曾祖母が騙るのは、この世でない場所、今でない時代のことだった。そう、私たち兄妹の曾祖母は、絶えて久しいと言われる騙り者だ。幼学で習った歴史によれば、物語と呼ばれる絵空事が禁じられてもうとうに半世紀が過ぎたという。現実ではない描写のある本、映像、音楽、絵画、その他あらゆるものが排除されて、世界は厳然たる事実にだけ基づく秩序だった仕組みで回りだした。無為な空想に時間が搾取されることは消え、人々は生産性のある生活を獲得した。
 幼い私が好奇心に屈してただ一度曾祖母のいるあの扉に耳をつけた時、曾祖母は灰を撒いて花を咲かせた老爺の話を騙っていた。
――『枯れ木に花を咲かせましょう』
 冬が去って春になり、暖かさで蕾が膨らみ、花とはそうやって咲くものだ。それくらいの道理は五歳足らずの当時の私ですらわかることだった。この世ならざる世界を滔々と騙る曾祖母に私は恐怖し、聞き耳など立てたことを心底後悔した。今も曾祖母の声を思い出すと背筋の凍る思いがする。
 僕たちはふたりとも一度として騙りを聞いたことなどありません。もちろん読んだことも。そもそも書き残されたものなどないのですから、当たり前ですがね。
 私は兄の快い声に耳をそばだてながら、家の最奥の小部屋を思い出す。
 あの部屋の窓は閉め切られている。この何十年、一度として開けられたことはない。そして、両親が死んでからは扉さえもが誰にも開かれることなく静寂を保っている。その扉の向こうには曾祖母がいる。いや、語るならば正確を期さねばならない。いた、と言うべきだ。命を失った体に『いる』とは言わない。
 当局の捜査官は鍵は紛失されたという兄の言葉を受けてあの部屋の捜査を諦めるだろうか。それとも職務に忠実に無理にもこじ開けるだろうか。どちらでもいい。私と兄はそこに曾祖母がいることを知らないことになっている。母も父も私たちに曾祖母の存在を告げなかった。知らされていないことを知っている道理はない。彼らが疑うのは勝手だが、私たちが曾祖母があの部屋にいると知っていたと証明することは誰にも出来ない。兄が私を守り、私が兄を支える。そうすれば、捜査官とのやり取りがどれほどの難局になるとしても乗り越えられるだろう。
 物の本で「騙り者とは古くは語り者と書いたのだ」と読んだのはいつのことだったろうか。一所に住まいを定めず村々を巡り歩き、人々に物語を聞かせては対価として宿と食事を求める、語り者とはそういった人々だったのだという。来る日も来る日も野良仕事に追われるだけの村人にとって、語り者の存在だけが唯一の娯楽だったのだそうだ。
 それは、私たちの国が貧しかったもう遠い時代の話だ。時と共に国は栄え、語り者は不要になり、むしろ愚かなつくり話で人々を惑わす害悪となり、騙り者と呼ばれるに至った。
 現代ではもう、騙り者という言葉自体が忘れ去られつつある。私たち兄妹を当局が白と判断すれば、また騙り者の系譜がひとつ消える。そうして、私たちの国はさらなる安寧に満たされる。