サタデーモーニングマーク
 さちは女の子だけど私の恋人だ。もしくは私の恋人なのに女の子だ。あるいは、私は女なのに女の子のさちに恋をしている。
「おはよう」
 土曜日の朝、さちは合鍵で私の部屋に入り込み、私の顔をのぞき込んで声をかける。朝日にさらされた私の肌は綺麗でいくら見ていても飽きないとさちは言った。私がその光景を目にすることは一生涯ないけれど、きっと間違いなく、窓から射す逆光にふちどられたさちのつややかに長い黒髪の方が美しい。そういうことを言うとさちは私の寝顔をデジカメで撮ってパソコンのモニタに表示して私の顔がどれほど整っているかを力説し始めるはずだから、言わないけれど。
「ごはん食べよ。北欧堂のパンあるよ。シャワーあびておいで」
 華奢で小さくて童顔のさちは、自分より六センチ背の高くて三つは年上に見える私のことをいつでもまるで子供みたいに扱う。私はそれが心地よくてされるがままになったり、たまに駄々をこねてわざと叱られてみたりする。
 同じ大学には進学しなかったけれど、お互いの通学に支障のない中間地点を見つけて徒歩十分のアパートにそれぞれ部屋を借りた。一人暮らしなのか同棲なのかなかばわからないような状態で、もうじき一年生の秋も終わる。私の選んだ大学では一年生の間だけ土曜日の午前中にも講義があって、土曜日には早朝私の家に来て世話を焼いて、そのまま昼まで私の帰りを待つのがさちの日課になった。甘やかされて育った一人っ子のさちの料理も、最近はお腹を空かせて辿る土曜日の帰路の楽しみにできるくらいになった。
「おはようさち」
 私はまだうとうとと半分閉じた目で下半身は布団から抜け出さないまま、さちの首に腕を伸ばしてかじりつく。さちの手のひらは私の背中に回って、仔猫がじゃれあうみたいにお互いの体の上を指でなぞる。キスというのでもなく唇と唇が触れて、そのままさちの肩で眠りそうになる私の頭をさちがぽんぽんと叩く。それを合図に、私は緩慢な動きでベッドから這い出す。
 キャミソールとパンツしか身に着けていない私の格好はどう見てもだらしなさの極であるはずなのに、さちはそれすら伸びやかな体の線が綺麗だと言う。
 後でさちが片付けてくれる洗濯ものの山にその二つを脱ぎ捨てて十五分でシャワーを済ませ、ようやく私の頭は人間らしく働き始める。根本が黒くなってきた髪にドライヤーをあてながらそろそろ美容室に行かなきゃと思い、鏡の中の自分の裸体を見てつくづく胸がないなといっそ感嘆して、それから湿ったバスタオルを体に巻いて部屋に戻る。
 小さなテーブルにはさちお気に入りの北欧堂のパンがごろごろと皿の上に並べられて、マグカップからはコーヒーの匂いが漂っている。私は冷蔵庫から昨日スーパーで十円引きだった見切り品のフルーツヨーグルト二つを出して、デザートスプーンをそえて食卓に加える。
「今日の服、そこね」
 さちが視線で指すカゴの中には私の下着と、さちが選んださちの服が入ってる。
 初めてさちの部屋に泊まった夜、寝間着を忘れてさちの服を借りた私を見たさちが洩らした「いいなあ」の一言は、実に愉悦に満ちていたと今思い出しても思う。「ねえ、明日は私の服着て出かけようよ」という誘いを断る理由は特段思いつかず、その翌日のデートはさちの服に包まれて過ごした。折にふれてさちの匂いが自分から漂うのは妙な心地で、その日はいつもよりさちに甘えた声を出していた。
 土曜日の講義にはさちの服で、が定着したのは夏の始まる頃だったろうか。毎週飽きもせず自分のワードローブから一式を用意して持参してくるさちに私は少しばかりあきれたけれど、「マーキングだからね」と楽しげに、苦しさを包み込んだ声で楽しげに笑うさちに、私は何も言い返さなかった。指輪でもつけようかという提案は飲み込んだ。隣に同じリングをつけたさちのいない場所で左手の薬指に指輪なんかしても、ただ彼氏がいるんだと思われるだけだ。
「ここのパン飽きないねー、さち」
 さちの選んだ服を身に着けて、さちに気づかれないようにその自分の体を両腕で一瞬抱いて、それから私はテーブル脇に投げ出したクッションにもたれて座る。あと一ヶ月もしたらコタツ布団を買おうと考える。
「美味しいものは食べれば食べるほど美味しいからね」
 綺麗なものは愛でれば愛でるほど綺麗さがわかるからねと、私を見つめた時と同じ口調でさちが言う。
 そういうものかあ、と中途半端な返事をしながら、私はさちの好きなカリカリのメロンパンを小さく頬張る。