寒いのは嫌いだ。赤く燃える石油ストーブは自宅にいる限り焚き続け、電気マットの上でこたつ布団にくるまってかたつむりになる。指の先、髪の一本まで人工の熱でとろかして、まぶたは眠気のままにうつらうつらと上下させる。
留年が確定したその冬は一時的に大学に行く一切の必要がなくなり、バイトは無断欠勤を続けて顔を見せる気などとうに消え失せ、実家に帰らなければという事実にはじっと耳をふさぎ目を背けた。そうすると、窓一枚、扉一枚向こうにある世間という世界から、すとんと一段低い溝に落ちた気分になった。自分からは世間が見える。けれどそこを慌ただしく行き来する人々の視界には、低位置にいるぼくの姿が入らない。誰もぼくを見ない。見ないし気づかない。
意識と体のふたつ合わせて、ぬくまった泥に漬かり込んだ気分だった。脳のひだのひとつひとつにまでその泥は入り込んで、もはや気持ち悪いとか抜け出したいとか、そういう気分すら起きなかった。泥であれ一酸化炭素の濃すぎる部屋の空気であれ、温かく包んでさえいてくれればそれで脳は満足した。脳も体も、つまりはぼく自身のすべてが。
家事というのは人間の行うなかで随一に生産的な行為だと、この時期に気がついた。部屋の四隅に埃がたまろうと何日間同じ服を着続けようと、そんなことはなににも影響も及ぼさない。肉体的な空腹感はあったけれど、食欲と呼ぶべきはっきりとした欲求はついぞ生まれなかった。空腹は眠りで簡単に散ってゆき、体が絶対に必要だとシグナルを発する最低限の水分と食事だけを摂取した。生のすべてが、暮れきらない黄昏れのまどろみのなかにあるようだった。どこが現実かもやがてわからなくなりかけながら、眠りと眠ってはいない状態を行き来した。
眠りはいつでもかたわらにあるが、眠りから引き返すのはおおむね電車が線路を鳴らす時だ。
二階建て、全十ニ戸のアパートは、狭く短い駅のホームに寄り添うように立っている。電車のドアをくぐると、ほとんど目の前と言っていい距離に青いドアが並んでいる。電車の音がうるさいことなど見た瞬間にわかっていたが、高校を卒業したばかりのぼくの目に、そのアパートのドアはなぜか奇妙に印象深かったのだ。下宿先を探すために進学する大学近辺の街々を歩きつつ、そのドアの佇まいがずっと頭を離れなかった。一時間にせいぜい三本しか電車の止まらないこの駅では通学に不便することもわかっていた。もちろん両親には反対されたが、押し切って契約した。
この一室はその時からぼくの城になった。しかし城はやがてただのねぐらになり、そして檻になった。その冬にはついに入り口のふさがれた洞穴になった。もうぼくにはそこから外へ出てゆく方法などわからなかった。豊かだったはずの城がなぜ無彩色の洞窟に変わり果てたのか、とんと理解できなかった。
入居する前、普通のアパートよりも防音はしっかりしていると不動産屋は言ったが、もちろん電車の通る音を完全に遮るほどのものではない。車輪がレールをきしらせる音、電車の到着を知らせるベル、ブレーキをかけた列車が発する高く鈍い悲鳴。どれも、実際よりも遠く小さくは感じられるが、決してその気配を完全にひそめることはない。
眠りが特に浅くなっている時にちょうどその気配が部屋をゆすると、意識はゆっくりと睡眠のふちから首をもたげる。もたげた首をめぐらして時計を見るのが、いつからかついた癖になった。五時、八時、十三時、十六時。それが何時であれ、洞穴に暮らす人間には関係がない。薄いカーテンをかけただけの窓は時間帯によって違う明るさにほの光っていたはずだが、そんなささやかな変化などぼくの脳は決して認識しなかった。
その夜、やはり電車の音で目を覚ますと、時刻は真夜中にほど近かった。目覚めても決して覚醒はしない思考で、それでは今のが終電だなと思う。終電が過ぎると気持ちのどこかが安堵する。ぼく以外の人間の気配が急に希薄になり、洞穴はより洞穴らしくなる。これ以上ない灰色の生活は、これ以上落ちる場所がないという安心感を与えてくれた。すがり寄ることができたのはその程度の欺瞞くらいだ。
煙草を喫おうと掃き出し窓を開けたが、放り出してあった箱はもう空になっていた。最後の一本を喫ったのがいつのことだったのか、どうしても思い出せない自分に気がついた。換気を、という気まぐれが起こったのはそのせいだっただろう。掃き出し窓をいっぱいに開けた。それから、風の通り道を作るために立ち上がった。
すりガラスの引き戸で仕切られた部屋を出ると、そこはもう玄関だ。その右脇にすえられた、台所と呼ぶのもためらわれるレンジ台とシンクの上に、小さく窓が切られている。そこも開くと、肌を切るような空気がいっせいに押し寄せた。その冷たさに、たたらを踏みそうになる。
踏みとどまったぼくの耳に、なにかの声が届いた。
「なら、歩かなければ」
声は確かに冬の空気とともに部屋へ侵入した。窓の外には侵入防止の柵が立ててあって、ぼくはその間から思わず外をのぞき見た。一瞬、自分が自分でなくなったかのような素早さで。
「声がある。なら、歌わなければ」
狭い視界に見えたのは、駅のホームに立つ女性の後ろ姿だった。ほぼ真正面、距離で言えばほんの七、八メートルのところに、女性がひとりきりで立っていた。小さな後ろ頭を短く揃えられた黒い髪が丸く覆い、白いコートが膝上まで届いていた。ホームのベンチの影からは黒いブーツがわずかに見え、そのベンチにはずいぶん大きな鞄が置かれていた。鞄の上には、鮮やかに発色する青いマフラーが丸められてあった。
中空に差し伸べられた彼女の両腕は声を発しながらも動かず、手は黒革の手袋をはめていた。彼女の言葉は続く。
「腹がある。なら、満たさなければ」
はっきりと届く女性の声は、しかし極端に小さく抑えられたものだった。なぜこんなにも小さな声が一字もらさず聞き取れるのか、不思議に思えてならない。
芝居のせりふだろうか、とふいに考え至る。もし彼女が役者であるなら、常人とは違う発声の仕方をしているのかもしれない。
さびれ果てた駅の、終電が去ったホームでひとり立ち尽くし、芝居の場面を演じる姿は異常だ。しかしその時のぼくにそんな判断をする能力はなかった。窓と柵を通して、微動だにせずひとりで寸劇を演じる女性を、ただ視線をそらさず見続けていた。もうとうに消え失せたと思っていた時間の感覚がますます麻痺してゆくのが感じられた。目が、爪が、口が、心臓が。せりふはいつまでも続くように思われた。が、実際には決して長い時間ではなかっただろう。
「脳がある。なら、思考しなければ」
そこで、彼女は腕をおろした。腕とともに頭がうつむいてゆき、視線が下がってゆくのがわかった。ここが舞台であったなら、彼女を照らすスポットライトも徐々に光量を落としてゆくようなシーンだろうと、勝手な想像が脳裏の劇場を駆け巡った。
たっぷりの沈黙のあと、もう舞台がすっかり闇に沈もうとする寸前に、彼女はもう一度顔をあげた。視線が客席をまっすぐに射る。
「命がある。なら、生きなければ」
音の余韻が消えると同時に、彼女は振り返った。暗い室内に立つぼくは彼女からは見えない。女性はマフラーを首に巻き、一抱えもありそうな大荷物を肩にかけて、ホームを改札に向けて歩いて行った。
最低限の働きすら放棄していた脳では、彼女の演じた長いせりふを覚えておくことなどとてもできなかった。ただ、口のなかで最後の一節だけを転がした。
「命がある。なら、生きなければ」
ぼくは窓を閉じた。引き戸を通って部屋に戻ると、温かかった空気はすっかり外気と同じ温度にまで冷えていた。寒い、とぼくは、その冬初めて口に出した。
掃き出し窓も閉め、シーツがべとつくベッドに潜り込んだ。体も布団も何もかもが冷えきって、その夜はしばらく寝つくことができなかった。寝るまでの間に、彼女が放ったせりふを幾度となく舌の上でなぞった。
翌朝、差し込む朝の太陽の光で目が覚めた。やけに眩しく見えるカーテン越しの朝日のなかで、いつもならば布団を頭まで引き上げるところを、ぼくは無言で起き上がった。床の上に両足をつけて立ち、カーテンの端を持ち、夢見ごこちに少しだけめくり上げた。南東を向いた窓からは、陽の光を横手から低く受けた家並みと畑と郵便局ポストが見えた。三年間たえず見て来た光景は信じがたい美しさできらめき光り輝いて、その朝ぼくはそっと泣いた。