メモ
2014.04.15
 今年の2月にあった、都内の図書館で『アンネの日記』のページが破られるという事件は、私にとってとても衝撃的な出来事でした。
 「本を破る」というのは、私の認識できる世界の外にあることでした。何かを訴えたり発散したりするための手段として、想定することさえできない行為です。驚きより、怒りより、その途方もない行いに恐ろしさを感じたことを覚えています。

 そして、何かをしたい、自分ひとりでもできる何かを、と思い、子供の頃に(たぶん子供向けに編纂されたものを)一度読んだきりだった『アンネの日記』を、増補新訂版できちんと読んでみることにしました。
 鎌倉のたらば書店さんで、仕事帰りにこの本を買った時、上記のようなどこか思いつめた気持ちで『アンネの日記』をレジに差し出したら、店員さんが「破れたりしてないよね? だいじょうぶだよね」とどこかユーモラスにおっしゃっいました。その会話で、余分に入っていた肩の力を抜くことができました。

 3月の上旬から読み始めた『アンネの日記』は今、本文582ページのうち、他の本に寄り道しながら520ぺージまで読み進めています。残りはわずかです。1942年6月12日に始まった日記は、1944年5月22日まで書き進められてきました。
 心のなかの親友キティーに宛てた手紙というかたちで綴られた日記に、アンネは思春期まっただなかの葛藤をありったけ込めています。母との軋轢、理解者のいない苦しみ、決して隠れ家の外から出ることのできない現在、連行されていった多くの学友への罪悪感。
 それでも、アンネは希望を失いはしません。アンネの将来の夢は文筆で生計を立てていくこと。そしていつかは作家になること。母や姉のような平凡な人生ではなく、周囲に喜びを与えられる人物になりたいと願います。
 彼女は隠れ住む日々のなかで、図書館の本を読み、勉強をし、興味の向くことを懸命に調べ、ノートにまとめ、知的好奇心を育てます。彼女は自身の身の危険を知ると同時に、我が身の将来を儚みません。

 私の手の中で、『アンネの日記』のページ数は残り僅かとなっています。終わりが近いことが、はっきりとわかります。
 しかし70年前にアンネが書いていた日記は、日々その一日が一番新しい1ページで、「残りのページ」など一枚もなく、アンネ自身にも次のページに何が書かれるかは決してわからず、そしてその終わりも決して見えてはいませんでした。その最後の1ページを書いている時にでさえ。
 書いていた本人が知らなかった終わりを、わかってしまう私が読んでいる。当たり前で、なおかつこれ以上なく悲しいこの事実を思いながら、残りのページを最後まで繰ります。