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『ペン』 引間 徹
 日常に食い込んで、読んでいる時以外も決して意識から離れない小説というのがある。それは「先が気になる」とか「衝撃的で忘れられない」というものではなく、非日常(創作物)と日常の狭間のエアポケットにすっぽりと入り込んでいる小説だ。
 そういう小説は、リアリティの高さよりもむしろアンバランスな幻想性を含む。そして、読むはしから作中の出来事が、自分の日常の一コマとして組み込まれてくる。その本を読んでいるという事実でなく、その本のなかの登場人物や出来事たちが、私自身の日常の一画を占めるようになるのだ。この一冊は、まさにそんな小説。

 「フエルトと化繊わたとでできた、ペンギンのぬいぐるみ」であるペンが一人称で語る、近くて遠い、ありふれていてどこにもない、ペンだけの物語。ペンは左右非対称の目を持つへちゃむくれのぬいぐるみで、食いしんぼうで、いつか本物のペンギンのいる南極へ行くことを夢見ている。
 持ち主である「あの人」に深く愛されてタマシイの目覚めたペンは、あの人の部屋でアザラシのぬいぐるみゴマと暮らし、あの人とあの人の彼女と三人で川の字になってごろごろする。ぬいぐるみでありながらしゃべり、思考する自分について時々考えながら、しかし「今日のイワシがおいしかったらそれでいいや」と、ペンギンらしい刹那主義で日々を暮らしている。

 ぬいぐるみにはぬいぐるみの世界のシキタリがあるのだと語るペンは、時にあの人の保護者のように振る舞う。ぬいぐるみのやり方であの人を守ろうとする。そしてすべてのぬいぐるみがそうであるように、時には友人であり、あるいはまた恋人でもある。
 ぬいぐるみに万全の愛情をそそぐあの人は、落ち着かなくなると指にタオルを巻きつける癖を持ち、追い詰められるとその場から逃避してしまう。ペンにとってはかけがえのない存在であるあの人は、きっと社会から見ればちょっとおかしな困り者だ。
 けれどもちろん、そんなことはペンにとっては関係がない。ペンとあの人、あの人とペンは、互いに寄り添い合いながら、現実という容赦のない怪物と対峙している。

 この小説の主軸となるペンにかぶさる運命は、単なるぬいぐるみが背負うには少々過酷なものだ。それでもペンは、ペンギンらしい楽観主義で、うろたえるあの人を慰める。その楽観主義は、実は生身を持たないぬいぐるみならではの大いなる達観なのかもしれない。いずれにしろ、ペンは人間には真似のできない忍耐強さであの人を守り続ける。

 すべての弱さを抱えた人にペンが必要なのだと、『ペン』を読むと思う。正面から向き合うには現実が辛すぎる時、すべての人にペンが必要になるのだと思う。そして同時に、世界中に存在するはずの「ペン」を思う。持ち主に愛され、タマシイを宿したぬいぐるみ達を想う。
 『ペン』はペンだけが持つ物語であり、同時に世界中ありとあらゆる場所で起こっているはずの物語でもある。子供の頃一緒に眠ったぬいぐるみ、今も誰かが大事に抱きしめているぬいぐるみは、すべてそれぞれかけがえのないひとつであり、同時に必ずすべて「ペン」であるはずなのだ。彼らがそれぞれのかたちで幸せであれと、かつて私も「ペン」に守られたひとりとして、祈らずにはいられない。
初版:1997年9月 集英社
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2014.09.25