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『アッシュベイビー』 金原 ひとみ
 これはひとり言である。一人称小説というよりも、語り手アヤのひとり言である。アヤは 22 歳で、キャバクラ嬢で、大学で同じゼミだったホクトと成り行きでルームシェアしている。ホクトの同僚男性村野さんと出会い、焦がれてじれて狂っていく。

 これはひとり言であるから、あまり小説的ではない。形式は小説に則っているけれど、ほとんど小説ではない。小説として生まれ損なった畸形の文章、と言うのが正しい気がする。
 だから、小説を読むひとに蔑まれる本だろうと思う。私だって、レビューで 5 点満点の評価をしろと言われたら 1 点しかつけない。精読を拒否するようなあけすけなばかりの文章で、山のように淫語が使われて、下品で醜くてグロい。ななめ読みで一時間で通読できてしまいそうなぺらっぺらさ。
 私はこの本を誰にもすすめない。面白くない、小説のなり損ないなんだから、当然だと思う。

 が、これを読んで私はますます金原さんの本を読みたくてしょうがない。『蛇にピアス』に続いて、金原さんの本を読むのはこれが 2 冊目だ。前回から感じていた金原さんの描く主人公の女へのシンパシーがますます深くなってゆく。
 これはアヤのひとり言だから、この本を読んでどう思うかは、ひとりの人間と知り合って小一時間話をしてみて、次にまた会いたいと思うかどうかというのと同じ問題だ。この本に読者はいない。読者としてこの本に触れても楽しませてはもらえない。アヤに会ってみてまた話したいと思うかどうかだけがすべてだ。
 商業小説としては読者の不在は致命的な欠陥だろう。読者に読ませてあげない本は売れない。

 でも、それは少なくとも私個人にはどうでもいい話だ。
 この本は誰にもすすめない、と言った。それはこの本が読まれる価値のない本だということではなく、私の知る人にこの本を読むような人間がいないということだ。履き違えてはいけない。アヤがひとり言を綴ったこの本は言葉通り個人の体験で、個人は読者という他者に提供されるために生きているのではないのだ。
 読者として甘やかしてもらえると思ってこの本を開いてはいけない。

 ここにいるのは孤独に苛まれて息もできないでいる女ひとりだ。何も知らないのに自分が知らないことだけは知ってしまった、狂うしか道のなかったひとりの女だけだ。
初版:2000 年 4 月 集英社
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2013.03.03