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『クロッシング』
 北朝鮮の炭鉱街に暮らす元サッカー選手であったヨンスは、妻ヨンハ、息子ジュニと共に、貧しくも穏やかに暮らしていた。しかし、あまりにささやかで慎ましやかな幸せは、ヨンハが栄養失調からくる結核を患ったことでもろく崩れてしまう。薬を手に入れるために中国に渡ることを決意したヨンスは家族と離れ離れになり、残されたジュニは母ヨンハと共に父の帰りをじりじりと待っていた。

 映画は現実ではない。現実を再現しようと苦心した映画を観る時ほど、この事実を忘れてはならないと思う。映画で満足し、現実を知ることを怠る結果になってはいけない。
 『クロッシング』では、脱北が描かれる。この行為について、私はただ単語を知っているだけだった。実際にどのようなルートが存在し、どこまで行けば安全で、どのような機関がその手助けをしているのか。韓国によって作られたこの映画は実際に脱北してきた人々の証言を用い、中国とモンゴルにまで赴き撮影が行われた。脱北者に厳しい政権下において制作は完成後の公開のめどがないままに秘密裏に進められ、政権が変わった後に公開となった。
 映画を現実と思ってはいけない。けれど、この映画ができる限り現実を伝えるために撮られた映画であることは信じてもよいと思う。

 まず、脱北というのは政治的な行為であると漠然とイメージしていた。北朝鮮の体制に叛意を持つ人が、国から逃れるためにしているのだと。
 しかし、少なくともこの映画の主人公であるヨンスは違っていた。彼の目的は中国で妻のための薬を手に入れ “帰る” ことである。北朝鮮を捨てようなど微塵も思っていないし、国に対する反抗の意思もない。ただ、妻の命をどうにか救い、子供にお腹いっぱいのごはんを食べさせたい一心で、中国に渡る。
 結果的に彼は一時的な中国への “出稼ぎ” に留まらず本格的な脱北を成し遂げることになるが、それも彼の意思によるものではない。図らずも韓国へ亡命する結果になったのであり、ヨンスはあくまで家族のもとに薬と食料を持って帰ることを目指しているのだ。

 韓国で住み場所と仕事を与えられたヨンスは、今度は家族を韓国へと呼び寄せようとする。ブローカーに依頼し、妻と子を韓国へ連れ出す算段をつける。
 韓国で小奇麗な衣服を与えられたヨンスと、北朝鮮で土にまみれて生きるジュニの姿が交互に現れるようになるが、そのあまりに大きな隔たりは、そのまま日本でこの映画を見ている私たちと今も北朝鮮で暮らす多くの人々の姿にオーバーラップする。同じ人間でありながら、少しの差でこんなにも違う暮らしをしている。
 国という果てしのない理不尽さが、ほんのわずかのほころびからひとつの家族が持っていたちっぽけな何もかもを永遠に奪い去ってゆく。

 この映画は大仰な告発映画ではなく、北朝鮮という国の残酷さを表すことだけが目的の映画でもない。物語の根幹にあるのは家族が共に幸せに暮らしたいという一心だけで、それがすべてを動かしているのである。そして、たったそれだけのことがこんなにも苦痛と困難を極めることが、あまりに苦しい。
 知ることは関心を寄せるための最初の一歩だ。この現実をどうすればいいのか、私は知らない。しかし、とにかくすぐそこの隣国に人々がいるという事実を知る第一歩に、この映画はなると思う。
2008 年 | 韓国 | 107 分
原題:Crossing
監督:キム・テギュン
キャスト:チャ・インピョ、シン・ミョンチョル、ソ・ヨンファ、チョン・インギ、チュ・ダヨン
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2013.02.03