メモ
2013.02.16
 映画としては駄作と言うしかないのだろうな、と悲しく思う。

 この『ライフ・オブ・パイ』はかの『アバター』を超える映像体験を観客に提供するといった旨のあおりがつけられている。『ライフ・オブ・パイ』は『マトリックス』や『ウォンテッド』に連なる映像体験映画として作られたのだ。
 映画を一本撮るには映像、ストーリー、俳優、どこに重きを置くかという観点が必ずあると思うのだけど、『ライフ・オブ・パイ』は間違いなく映像に主眼を置いている。

 が、この映画の背景にうっすらと感じられる原作の気配は、この映画のあり方がどうしようもなく方向性を間違えたということを、映像を主眼に撮ってはいけなかったということを感じさせる。
 映像に重きを置いたがために観客は映像の凝り方を受け止めるだけで手一杯になってしまうけれど、その分ストーリーを追うことは片手間になってしまうけれど、この物語は片手間の授受で済むようなものではなかった。映画が物語を間違えたと言うしかないだろう。

 物語の向いている方角と映画の撮り方が向いている方角が違っている。それがお互いを食いつぶし合って、観終わった時にはどちらも受け取りきれないまま、スクリーンはあっけなく暗転する。観客はどっちつかずのまま映画から放り出される。
 いずれ原作を読まなければ、と思う。映画が描き方を間違えて正しく受け止められなかった物語を、正しい形で受け取りにいかなければいけない。