メモ
2013.03.20
 今日は、銀座で『インターミッション』、大森で『3.11 日常』と『フタバから遠く離れて』を観ました。
 それぞれにはっきりと方向のある映画で、すべてについて今書くには元気が足りない。もっとも深く食い込んだ『フタバから遠く離れて』についてだけ少し。

 『フタバから遠く離れて』は、廃校になった埼玉の旧騎西高校に避難した双葉町の方々の映画。2011年の秋ごろまでの映像で、観ている間中泣けて泣けて仕方がなかった。申し訳ないのか、あわれみなのか、同情なのか知らないけれど、身を引きちぎられるような悲しみでどうしようもなかった。
 そんな、ずっと揺さぶられ続けるような映像のなかで、たった一か所だけ反射的に「嫌だ」と思った場面、悲しみや苦しみという感覚に嫌悪や否定という感情が一瞬の間に混じり入った場面が、双葉町の方々が双葉町に一時帰宅した時の映像で出てきた、てんでばらばらに倒れて混沌と荒れた墓所の映像だった。

 墓所は神聖な場所だ。私はまだ、勘違いしていたのだと思う。人間にとってどれだけ特殊な場所でも、地震には関係がない。地震が墓だけを避けて通るわけがない。言葉にするのもためらわれるくらい当たり前のことなのに、被災地を知らない私はそんなことも知らないでこの二年間いたのだ。

 『3.11 日常』も『フタバから遠く離れて』も、震災直後から半年ほどまでの間の映像だ。もちろん今と状況は様々に変化している。この映像で見たことを今にそのまま当てはめないように注意しながら、受け取ったものを出来るだけ零さずに3.11を考えたい。