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ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
There Will Be Blood
2007年  アメリカ
監督 : ポール・トーマス・アンダーソン
キャスト : ダニエル・デイ=ルイス / ディロン・フレイジャー / ポール・ダノ / ケビン・J・オコナー / キアラン・ハインズ
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 一介の掘削人から成り上がった石油王、ダニエル・プレインビュー。愛と人間性を手放して、金と欲に従って生きた男の半生をつづったドラマ映画。

 観終わったあと、ダメージを回復するのにずいぶん時間がかかった映画。三時間以上にわたる長作だったことももちろん理由のひとつだけれど、一番の原因はプレインビューの人間像。底なしの欲だけによって突き動かされるような、金以外のものを必要としないその生き方、哲学は、周囲の人々すべてを巻き込んでいく。彼を害するものはすべて、こなごなに粉砕されていく。
 それはプレインビュー自身も例外ではなく、彼は金のために彼自身すら捧げているのだ。プライドや自身の人間性すら、彼にとっては金と引き換えにできるものでしかない。金か金以外か、それしか区別が存在しない。

 私がそれを理解したのは、映画の終盤に差し掛かってからだった。それまでは、彼の情や良心をどこかで信じていたと思う。観終わっても信じていたいという思いはあるけれど、その願望は私の身勝手なものでしかなく、映画はそれを完膚なきまでに打ち壊している。
 プレインビューという男は、石油の時代が生み出したひとつの怪物なのかもしれない。

 ところで、監督が「マグノリア」の監督だったと知って、納得もしたし不思議な感じもした。登場人物が入り組み合う感じやあのどうしようもない気持ちの悪さは確かに「マグノリア」や「パンチ・ドランク・ラブ」と通じるものがあると思う。
けれど、私が観たその前二作には、どこかユーモラスな空気が漂っていたり、寓話的だったり、登場人物がどこか象徴的で遠まわしに人間というものを撮っている感じがした。けれど、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」ではそんな寓話性や象徴性が一切感じられなかった。
 登場人物がじっとカメラを見つめているような、その場にいる人間を直に観客に届けようというような心を感じていた。監督にとっては、作風の転換期にあたっているのかもしれない。だからこそダメージが大きかったとも言えるけれど、観客のダメージレベルを下げるための気遣いをするような映画の方が私は苦手だ。
2008.05.07