本 > 海外小説
『MORSE ―モールス―』 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
翻訳:富永 和子
初版:2009 年 12 月 スウェーデン
>> Amazon.co.jp (上) (下)
 新興されたばかりで歴史を持たない街、ブラッケベリ。そこで母とふたりで暮らすオスカルは、クラスメイトからひどいいじめを受けている。鬱屈した日々を過ごすオスカルが謎めいた少女エリと出会った時から、街に不穏な事件が起こり始めた――。

 オスカルとエリのボーイ・ミーツ・ガールの物語だ。ふたりは少しずつ関わりを深くしながら、影響を与えあっていく。あまりにも異なった世界で生きているふたりが出会うことで、事件はありえなかったはずの展開に向かっていく。
 例え彼らが出会わなくても、エリが街へやって来たことでブラッケベリでの事件は間違いなく発生した。ただ、結末はまったく違うかたちになったはずだ。

 エリはつらい生を生きている。一方的に押しつけられた業を、じっと耐えながら生きているのだ。人の食べ物を受けつけず水すらまずいと感じるエリの体は、人の血を飲まなければ生きてゆけない。
 けれどそのぶん彼女は生物としてシンプルだ。オスカルとエリのふたりを比べた、私はエリの方が生物としてごく正常な規範のなかで生きていると思う。生きるために他者を捕食するというのは自然の摂理のごく根本だろう。

 対してオスカルは、どうにも考え方が屈折している。いじめられた屈辱感を薄れさせるために万引きを繰り返し、異常殺人に強い興味を持つ。育った家庭環境によるものかもしれないし、いじめられて来た日々がそうさせたのかもしれない。
 ただし忘れてはならないのは、このオスカルの異常性は「自分が命を食べている」という事実を巧妙に隠された現代に生きている人間に多かれ少なかれあてはまるものだということだ。殺生をすべて残酷な行為だとみなし、その一方で食べるため以外の理由で他者を殺すという生物としてのひずみだ。

 そのオスカルに向けてエリが「きみは私と同じだよ」と説くシーンがある。これがとても印象深い。生きるために人間を殺すエリを怪物だと言うオスカルに対して、エリは「きみも、捕まりさえしないなら生きるために(自分を承認しない他者を否定するために)人を殺すよ」と語る。
 果たして人を捕食するエリは本当に人間よりも異常な存在なのか、人間は正常な生き物と言えるのか。

 これは、オスカルがエリという奇妙な少女と出会って彼女に感化されていく物語ではない。オスカルの変化は確かにエリをきっかけとしているけれど、エリはあくまでもオスカルの底にあったものを引き出しただけなのだ。
 そうしてオスカルは深みへと落ちていき、エリはより人間味を強くさせる。

 また、訳者あとがきにもある通り、この本にはオスカルのエリへの初恋の想いに加えて、歴史という厚みを持たない街の寂しさ、アルコールに溺れる大人の人生への挫折感など様々な要素がある。
 私はオスカルの異常性とエリの生物として純粋な生き方に惹かれたし、きっと人によってはまた違う部分に反応することもあるだろうと思う。

 ところで、私はこの作品を「小野不由美さんの『屍鬼』が好きな人なら楽しめるんじゃないか」と言ってすすめてもらったのだけど、私もそう思う。
2010.07.28