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『ぼくのキャノン』 池上 永一
ぼくのキャノン
初版:2003年12月 文藝春秋
蔵本:2006年12月 文春文庫
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 村の守り神であるカノン砲をキャノン様とあがめる沖縄の村。
 村を統べるのはマカト、そして彼女とともに村を守る樹王とチヨ。彼らのそれぞれの孫である雄太、博志、美奈はキャノン様に守られて奔放に育って行くが、村には大きな秘密があった。

 購入したのが去年の 9 月で、そのころは気になる本をとにかく買い集めていた時期だった。しばらく後になって読もうかな、と手にとったとき、どうしても文章が受け付けなくて 20 ページも進まないうちに一度読むのを止めた。正直なところ、文体も確認せず買って失敗したな、と思った。
 それでもせっかく買ったんだから一読はしておこう、と再度手にとったのが先月のこと。やっぱり苦手かもしれないとは思いつつ、あまり最初の印象に流されたくなくてなるべく以前のことを忘れて読み進めた。最初に読んだときに拒否反応が出たのは、登場人物紹介でのマンガのようなキャラクター付けに大きな原因があったことも自覚していたので、そこを読み飛ばして本文だけに集中するようにして。
 まず読み始めでは以前ほど読むのが苦痛ではないと思い、50 ページも読んだころには、面白いかもしれない、に変わっていた。

 こらえきれないほど切なく、同時に大切な物語だと感じたのは、平和なはずだったキャノンの村に影が落ちだしたとき、そして、主人公である雄太の祖母・マカトが過去を語りだしたとき。特に、マカトと共に村を守っている樹王の存在の理由を知ったときにはとてもつらかった。

 この小説では、さまざまな犯罪が起こる。私はどんな状況であってもそれを認めようとは思わないけれど、同時に、この小説に描かれているものを否定することはできない。それは、強者が弱者をいさめるような、平和な日本に住む人間が対立の理由も知らずに戦争は悪だとやみくもに言い張るような、そんな傲慢さだと思うからだ。
 戦争を肯定は絶対にしないけれど、どんな背景があるのかも理解せず、経緯も知らず口を出すことはできないと、近頃は考えるようになった。

 『ぼくのキャノン』はとても痛ましくて、悔しくて、憤ろしくて、そして、それでも未来を見ている小説だ。
 語り口は軽妙で、主人公は子どもたちで、出てくる登場人物は確固とした役割付けをされていて現実味が薄く、苦手に感じる方は多いのではないかと思う。特に、普段重厚な小説を読みなれている読書家には (それは、自身も含めて)。
 けれど、役割付けされた登場人物を通してリアルで生々しい人物像が透けて見える、少ないタイプの小説だと私は感じている。多くの人に読んでみてもらいたい本だ。
2008.06.20