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『鉄塔家族』 佐伯 一麦
鉄塔家族
初版:2004年06月 日本経済新聞社
蔵本:2007年07月 朝日文庫
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 デジタル放送用の鉄塔が建ち、古い鉄塔が撤去されるまでの一年。
 作家である斎木とその妻であり草木染作家の奈穂を中心に、鉄塔の足元で暮らす人々の生活をつづった物語。

 この本はきっとはずれないだろうという予感のようなものがあって、だからこそいいタイミングで読みたいと思って機会をうかがっていた。
 文体の呼吸の置き方が少し独特で、慣れるまで少し時間がかかったけれど、それでもまだ第一章も読み終わらないうちから、とてもいい読書になるんじゃないかという確信が生まれだしていた。

 決して読みやすい文体ではないのだけれど、とてもここちのいい空気を吸っている気分だった。

 草花や鳥などの、自然描写が多い小説だった。だから、読み始めたころは「のんびりと田舎暮らしを楽しむ人々」や「スローライフを実践している人たちの満ち足りた生活」を想像してしまった。けれど、実際にかかれていたのは、ただただ現実の日々の生活だった。やたらと重苦しいわけではないけれど、決して明るさや健やかさばかりではない、地に足のついた日々が続いていく。

 『鉄塔家族』は私小説なので、地に足がついているのはあたりまえ、とくくってしまうこともできるけれど、どうもそれはちがうように思う。解説でも触れられているように、作者の影である斎木もまた、作中では一登場人物として相対化されている。「私はどうした」ばかりで書かれた作者を中心とした小説ではなく、作者もまた登場人物のひとりにまで落とし込まれている。
 私はほとんど私小説を読んだことがないので言い切ることはできないけれど、『鉄塔家族』の持つ現実味は、作者の願望などを入り混じらせないことからうまれた、私小説としてもめずらしいものな気がする。

 ていねいにそれぞれの日々がつづられていくことでひとつの作品となっていて、その上登場人物たちが過去を回想することで物語は空間だけではなく時間の広がりも見せ、さまざまな人生をのぞき見ている気持ちになる。
 見える人生にはもちろん順風満帆なものなどはなく、むしろ平凡とは呼べないものが多くでてくる。けれど、それでも読み終えたときに充足感や心地よさを覚えるのは、それぞれの人々が自分の日々に折り合いをつけ、責任を持った上で自由をまっとうしているから、そしてやはり、自然描写の多さからつたわってくる空気の気持ちよさにもよるものかもしれない。

 読み出したときに予想していた、田舎に住んでいる人ってのんびりした人が多そうでいいよね、という小説では決してないことを実感し、そしてその上で、うわべばかりが整っている雑誌のような生活とはちがう、ふぞろいながらもありのままの充実を得ている人々を想い、その生活を想って、読了した。
 いろんな人に読んでみてもらいたいと思う小説が、またひとつできた。
2008.05.20