本 > 日本小説
『小説・秒速5センチメートル』 新海 誠
小説・秒速5センチメートル
初版:2007年11月 メディアファクトリー
>> Amazon.co.jp
 小学校の 6 年生だった貴樹と明里は、ふたりとも父の仕事の都合で転校の多い生活だった。小学校 4 年から 6 年にかけての 3 年間、ふたりにとっておなじ世界を共有できる相手はお互いだけだった。
 貴樹の小・中学校時代、高校時代、そして社会人になってからの 3 話に分けて、貴樹と明里のたどったそれぞれの道をえがく。

 主人公の貴樹は優しすぎるほどに優しい人で、そして不器用で、だから自分が見て触れて受け取ったなにもかもを身のうちに降り積もらせていってしまう。適度に風化させたり手放したりということができない。
 そういう生き方をしていると記憶や感情の行き場がなくて、きっとどうしようもなくつらいだろう。
 できたことよりもできなかったこと、だれかにしてあげられたことよりもしてあげられなかったことばかりが脳裏をめぐって離れなくなる、そんな生き方を貴樹はしている。

 自分の心にけじめをつけることが苦手で、終わりにしたつもりで気づかないまま丸ごと胸にとっておいてあった想いや記憶を唐突によみがえらせて苦しんで泣いたりする。不器用すぎる。もっと楽に生きる方法はいくらでもある。
 けれど、そんな貴樹だから見える世界やできる人とのつながり方、そして確かな強さがあるはずだ。それを見つけるまでの道のりは途方もないほど長くて何度泣いても足りないほどつらいだろうけれど、それは価値のあることだ。つらい時間のはてに自分の内側に生まれるものには必ず価値がある。
 都合よく救いがあったりしない、と貴樹は言った。けれどそれを知った人間だからこそ救いの重みを知り、人にそれを与えることができるようにもなるんじゃないだろうか。

 『小説・秒速 5 センチメートル』は貴樹が始まるまでの物語だ。始まる前の苦しくて長い下地の時間。特別じゃなくていいから苦しみたくない、という生き方だってあるだろう。けれどなにかに苦しむということは決してその人を裏切らない。その時間があったからこそ手に入れられた貴いものを、貴樹はこれからいくつも見つけていくはずだ。
 できることなら貴樹には、自分は人生で出逢ったそれぞれの人々をすこしずつでも幸せにしてきたのだということに自ら気がついていってほしい。そしてその人々に自身も幸せにしてもらってきたのだということを、ずっと忘れないでいてほしい。
2008.11.15