2002年9月 新潮社
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ニューヨークで運転手から成り上がり、大金持ちとなった男・東太郎。
幼いころ伯父の継子として大陸から引き上げ、隣家の娘・よう子へと思慕を続けた幼年期。その恋は終わることなく、軽井沢を舞台に何十年にも渡って多くの人々を縛り続けた。
上巻の半分を読み終わろうかという時点で、先が見えないながら全体にただよう雰囲気に惹かれていた。この作者の小説は初めて読んだけれど、とても心地良い文体を書く人だ。
上巻を読み終えたところで、ようやくと言うべきか霧の中だった東太郎の姿が明らかになりだし、息をつめて読み進めていた。情景を思い浮かべながら、それぞれの心中を推し量りながらの読書で、速くは進まない。じっくり、世界にひたっていた。
そして、下巻まで読了して一夜明けてもまだ、頭は物語の世界を抜け出せないままさまよっていた。
人は、人によって形成される。人に囲まれ、人と語り合い、人を見つめながら育つから、ヒトというただの生物は人になる。東太郎という人物、彼にとって、真実自分の周りに存在していたのは、きっとよう子ちゃんだけだったんだろう。ひとりしか存在しないのなら、その人が自分にとってのすべてにならざるを得ない。そうやって、彼は人になったのだろう。
自分にとって唯一の人、その人にとって自分は唯一ではない。それを、不幸と思うのも、なじるのも、嘆くのも、東太郎にできることではない。それは、多くの人を持つ人間だけができることだ。
たったひとりしかいなければ、歯を食いしばってでも、感情を殺してでも、ただ想い、側に居ることを願い続けるしかできない。そうしなければ、人でいられない。その凄まじさは、想像で足るものではないと思う。そして、その凄まじさをもっとも近いところで見守り続け、秘め続けた冨美子がたった 1 度語った物語。けれど語り部である彼女ですら、傍観者ではない。
今は失われた古い時の中を生きていた、幾人分もの生涯を見せつけられ、圧倒されて、もう少しだけこの物語の世界にひたっていることになりそうだ。
こんも存在感に圧された小説は、久しぶり。