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『有頂天家族』 森見 登美彦
有頂天家族
初版:2007年09月 幻冬舎
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 舞台は京都、主人公は狸四兄弟の三男・矢三郎。
 とりまくのは敵対する叔父や従兄弟、師匠である天狗や、元人間で現半天狗の美女・弁天。
 狸と天狗と人間が入り乱れて、てんやわんやの物語。

 とても楽しみながら読んだ。
 ただ、単純な面白さとは別にとても興味深かったのが狸たち、あるいは語り部である矢三郎の持つ人生観。

 『有頂天家族』の世界で、狸たちをおびやかすものは交通事故と「金曜倶楽部」。「金曜倶楽部」というのは人間 7 人の集まりで、彼らは毎年忘年会で狸鍋を食べることから狸界からとても恐れられている。
 けれど狸たちは、恐れると同時に、鍋にされて食べられることをごく当然のこととして受け止めている。狸が鍋になって食べられるのは、別におかしなことじゃないという。

 『有頂天家族』の面白さは狸や天狗たちのあまりの人間くささだと思うのだけど、この「食べられるのは仕方ない」という感覚だけは、人間には持ち得ないものだ。その狸独特の感覚が一番よく描き出されていたのが、第 5 章だと思う。私はこの章を、とても不思議な感慨深さで読んでいた。
 人間が食物連鎖の頂点にいる、ということが、狸の目線から語られる。人間として読んでいる私はそれに、まったくその通り、とうなずくしかない。そんなことはない、と言おうとしても、それなら狸鍋なんか食べなきゃいいじゃないか、と呆れた顔で言い返されるだけだろう。

 作中には、狸はとてもかわいらしい、かわいいからこそ、愛しているからこそ食べちゃいたいのだ、と独自の理論を展開する人間がひとり登場する。彼の行動はたくさんの矛盾だらけで詭弁だなんだと周りからは非難ごうごうだけど、でも、真理だなあ、と思う。

 狸と天狗と人間が、三者三様に入り乱れる京都という街。それぞれがそれぞれに愛らしさと憎らしさを持っていて、生きているものって結局は、こうやって絡まりながら転がりながら、進んでいくんだよなあと思ってしまった。
2008.05.03