本 > 日本小説
『さよなら妖精』 米澤 穂信
さよなら妖精
初版:2004年02月 東京創元社
蔵本:2006年06月 創元推理文庫
>> Amazon.co.jp
 1991 年、高校 3 年生の 4 月に、春雨の降るなかで守屋はひとりの少女と出会った。少女はマーヤと名乗り、遠い異国から日本を学ぶために来たという。
 見るものすべてを吸収しようとするマーヤと過ごした二ヶ月間は、さまざまな謎と発見に満ちていた。

 異国からやってきたマーヤと、日本の高校生 4 人の交流を描いた 1991 年。そして、マーヤの帰国から一年が過ぎた 1992 年。このふたつの時間軸が交差して、物語は展開する。

 小説は、守屋の一人称で進む。1991 年当時、ごく平凡な高校 3 年生だった守屋にとって、マーヤという少女は日常にぽっかりと開いた非日常だ。守屋がマーヤに傾倒していくようすはまざまざと読みとれる。
 それは、恋愛とはちがう。守屋自身が作中で言っているが、守屋はマーヤに惹かれているのではない。憧れているのだ。正確に言うのならば、マーヤの見ている世界に、生き方に、彼女が背負っているものに。

 だから守屋は、ひとつの決意をする。そして、それをマーヤに伝えた。しかしマーヤから返ってきたものは拒絶ですらなかった。マーヤは守屋に言う。
 わたしはあなたよりもあなたをわかっている。だから、あたなの決意をかなえることはできない。

 1992 年、守屋は級友であり、マーヤの滞日期間中に宿泊場所を提供した白河とともに、マーヤの残した謎を追う。手がかりは、あいまいになった記憶と、ささやかな記録だけ。
 なかなか現れない真実にはがゆさを感じながら、しかし守屋の脳裏に唐突に答えがひらめいた。真実を見つけた守屋は、1 年前の決意を改めて決行しようとする。マーヤがその決意はかなえられないと言ったその理由を、きちんと理解した上で――。

 感傷、現実逃避、人生の休憩時間。それらのものを単なる甘えだとつっぱねる人は、おそらく心底からの痛みを感じたことがない人だ。感傷や逃避は、たしかに現実に対してなんの力も持たない。解決にもならない。しかし、痛切な現実と対面したとき、人を救うのはそんな不要な行動、遊びのスペースだ。
 知らなくてすむのなら、現実逃避をただの逃げだと一蹴してしまえるのなら、それはある意味では幸せなことだ。『さよなら妖精』は、その知らなければそれでもいい現実を、ひとりの少年が知る物語だ。
 1991 年、マーヤと過ごす日々は掛け値なしに輝いている。声を出して笑うシーンもいくつもあった。だからこそ、守屋の直面した真実が忘れがたく胸に刻まれる。
2007.09.30