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『マジック・フォー・ビギナーズ』 ケリー・リンク
マジック・フォー・ビギナーズ
Magic for Beginners
翻訳:柴田 元幸
初版:2007年07月 早川書房
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 祖母のゾフィアは、大きくて黒い妖精のハンドバッグを代々の家宝だと言った。あたしが死んだら、次はあんたがハンドバッグの番をするんだよ、と。――「妖精のハンドバッグ」
 9 つの異色の短編を収録。

 非現実をとうぜんの現実として書いていて、なんとも言えない空間に立たされている気分だった。
 特に、4 編目の「石の動物」にはどうしようもない気持ちの悪さもただよっていて、一気に読んでしまうと気分が悪くなりそうな気がした。気持ち悪さのある小説というと私のなかでは小野洋子さんや吉田修一さんが代表格なのだけど、そことも系統がちがう感じ。

 私は日本人の恐怖と外国人の恐怖は根本的なところがちがうと思っていて、日本人の恐怖は害はないけれど目の前にたたずまれる恐ろしさ (夜道にだれかがぼーっと立っているとか、追いかけてくるだけで襲ってはこないとか)、そして外国人の恐怖は害があるのにその主が見えない恐ろしさ (ポルターガイストなど)、に分けられるのかなと思っている。もちろん必ずしも二分できるわけではないけれど、確実に、恐怖の種類はちがうと信じている。
 「石の動物」はその日本人は描かない種類の恐怖が全面に押し出されてる感じ。だから余計に、感じたものをうまく吐き出す方法がわからなくて気持ち悪さばかりがつのってくるのかもしれない。

 『マジック・フォー・ビギナーズ』の持っているものをどうにか言葉にしてみたいのだけど、なかなかたどりつかない。
 現実における非現実であるはずのものを現実とフラットにつながっているかのように描写されてしまうことが、たぶんこのズレた感じの原因なのだと思う。
 ケリー・リンクは、雨が降り出したのでだれもが傘を開いた、と言うのと同じ流れで、猫の皮を剥ぐとなかには王子がいた、と言い出す。翻訳という幕越しだから非現実感が薄れてしまっているという可能性も考えたけど、たぶんそうじゃない。リンクにはあたまっから、現実を書こうという意思がない。なんの疑いもなく、非現実を書くことだけが唯一とうぜんの行為だと感じてるんじゃないかと思う。
 作者のそんな意識がにじみだして、あまりにも現実くさい非現実が展開されていくのかもしれない。

 短編集というのはもともと全体の感想というのは持ちにくい本の種類だと思っているのだけど、そういう理由からではなく純粋に物語としてなんとも感想の持ちようのない本だった。

 常識以前の、生活していればごく自然に生まれてくるちょっとした認識。そこがひっくり返っている地点からまずスタートするとても奇妙な物語。ファンタジーと呼ぶ気になれないのは、その世界においての不思議なことはなにも起きていないから、その世界における日常を書いているだけだから。
 たぶん、ちょっと変わった小説を書こうと意識的に考えただけなら認識をひっくり返すという手法ひとつで充分だ。けれど、リンクはそこで満足しない。というよりも、奇妙な小説を書くことが目的ではないから充分だという感覚を持たない。

 『マジック・フォー・ビギナーズ』を読んでいると、リンクは現実に小説内のような世界に住んでいて、書かれている事々はリンクにとってはごくありふれたものなのではないかという気がしてくる。
 多くのひとがためらう領域へ、なんの障害もないかとのごとくざくざくと踏み入っていく。そこに、さも自分の歩むべき道があるというみたいに。
 とても奇妙な小説家だ。好きかどうかと言われれば、好みの小説ではないのだけれど、なんとも、面白い本だ。現代にしか存在しない種類の奇妙さじゃないかと思う。
2008.04.18