2006年 中国 / 日本 / 香港 / 韓国
監督 : ジェイコブ・チャン
キャスト : アンディ・ラウ / アン・ソンギ / ファン・ビンビン / チェ・シウォン / ワン・チーウェン
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中国戦国時代に、「非攻」を掲げ守りに特化した墨家という戦闘集団がいた。ニ大国間の争いに巻き込まれた梁城を守るため墨家からやってきた革離という墨者は、たったひとりで梁城の兵力をまとめ上げ守城戦を開始した。
映像のあか抜けなさと脇役や群集たちの演技のまずさが目について、最初はまったく入り込めずにただ眺めるように観ていた。時間が経つにつれてだいぶ慣れたけれど、それでも心底から「素晴らしい映画だ」と言うには難がある。
でも、一箇所だけ私が反応した場所がある。それは革離という男の人となりだ。
墨家というのは万人を愛し他国を侵すことをやめよという思想のもとに集まっていた集団らしい。ただし守るために戦うことは否定せず、守り専門の武装集団として乞われれば守城戦に赴いたという。
墨家のひとりである革離もまた、平和のために戦っている。梁城を守るために知略をめぐらし敵兵を殺しながらも、ひとりたりとも無用に傷つけることはしたがらない。それが革離という男だ。戦いがなければそれが最も良いという思想が彼をつらぬいている。
その革離が自らの策で死んでいく敵兵を目の当たりにするシーン。ここから革離の心は揺らぎだす。平和を説く自分が残虐に人を殺す。平和を求める心に迷いはなくとも、この矛盾は目前に厳然と存在してくつがえらない。
劇中で、「因果とは何か」がわからなくなると革離はこぼす。平和が訪れるためにと戦っても、貪欲な人間は平和よりも権力を欲する。革離の戦いによって得られた平和が新たな火種となる。どこまでも戦いは終わらず平和はやって来ない。革離の戦いが平和をもたらすことはできない。
この映画に救いはあるかと言われたら、私はないと答える。ひとりの男が自分の信念を貫いて生きようとし、他者にそれを伝えようとし、そして挫折する物語だからだ。
ただ、革離の理念が誰にも伝わらなかったわけではない。挫折した革離はそれでも決して膝を折っていない。救いはなくとも、絶望をしない革離という男の姿には心強さを感じさせられる。革離という男をより知るためだけにでも、もう一度、二度と観てもいいなと思う。