初版:1995 年 2 月 福武書店
>> Amazon.co.jp
郊外のマンションの八階に暮らす専業主婦の汐美。子供はおらず、夫は仕事に忙しくめったに家に帰らない。
するべきこともないまま毎日の退屈を謳歌していた彼女の日々は、ある日のささいな出来事からゆっくりとくずれ始めた――。
主人公の汐美は眠ることができない。夜に眠り朝目覚めるという人間的なことが不得手なひとだ。
なぜなら、彼女は起きている時も薄いまどろみの中にいるからだ。結婚してからの六年間、働きもせず習い事もせず毎日を過ごしている。人生そのものを眠っているひとが、夜に深く眠れるはずがない。
本来人というのは張り合いというものがないと生きてゆけないはずなのだ。なのに汐美は自分をマンションの一室という高い塔のなかに閉じ込めて、充実ややりがいといったものをあえて遠ざけている。
なぜ汐美はそうやって生きているのか、その理由は物語が進むにつれてゆっくりと現れてくる。
物語の冒頭で汐美の夫が猫を連れてきて、汐美はその猫を飼うことになる。汐美が理想としているのはこの飼い猫とまさに同じ暮らしなのだ。
日がな一日なにをするでもなく、眠りたい時に眠りたいだけ眠り、空腹になったら餌をねだる日々。飼い主に束縛される代わりに、安穏とした生活を保証された生。しかも、その波紋のない毎日に心から充足していて外の世界へ行きたいと望むこともない。
汐美はそんなふうに生きたいと願っていて、実際、六年間をそうやって生きてきた。
けれど、彼女の奥底には女がいる。六年間沈めてきた女が、ひとりの男の存在でゆっくりと立ち上がる。その女は外の世界と恋を求めているのだ。そして汐美のさざ波ひとつなかった生活に波乱が起こってゆく。
人間は猫ではない。空虚な日々に満ち足りることはできない。たったそれだけの当たり前の事実が汐美の理想の日々を打ち壊す。
けれどこの崩壊は希望への一歩でもあるのだ。猫は未来を想わない。想わなければ、望む世界は手に入れられない。まず望むことすらできない。
繭のようなまどろみの日々から、汐美というひとりの女性が目覚めていく物語だ。私はこの小説がとても好きだけど、もしかしたら意思の強い人にはつまらない小説なのかもしれない。ただ、「何もない凪のような日々を生きたい」と一度くらい願ったことのある人なら、希望を与えられたような、でも切ないような、複雑な気持ちで読めるだろうと思う。そして、自分の人生の舵を自分の手で取る覚悟がほんの少し湧いてくるかもしれない。
ちなみに私は汐美の恋の仕方が大好きだ。非常識でめちゃくちゃで自分勝手で、およそ二十八歳の大人がする恋じゃない。けどそれが、まだ人生を始めていない彼女の最初の一歩だと思うと、やけに好もしく思えてくる。