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『空の中』 有川 浩
初版:2004年10月 メディアワークス
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 四国沖、高度二万メートルの上空で謎の航空機事故が続いた。航空機メーカーの技術者が原因調査のため事故の起こった自衛隊基地へ出向し、時を同じくして、地上では少年が不思議な生命体と出会っていた。
 上空と地上、ふたつの場所での出会いが世界を脅威にさらしていく――。

 作中で【白鯨】と呼ばれる奇妙な生物が私は好きだ。人類が初めて出会う知的生命体である彼は、人間とは似ても似つかない精神構造を持っている。水平で知的な、感情を持たない思考が私にはとても好もしい。
 だから、彼が人間と敵対するこの物語はつらいものだった。

 この物語に悪は存在しない。ただ、【白鯨】と人類との最初の接触が不幸な形だった。それがすべてだ。
 登場する人間のひとりひとりは、【白鯨】のために多かれ少なかれ傷を負った。それは【白鯨】が悪であるということとは違うのに、そこからひずみが生まれてしまった。

 人間は【白鯨】のように理知的に判断を下すことができない。人間たちは自分の受けた傷に涙を流して、あるいはそれすら出来ずに、【白鯨】というこれまで知らなかった存在に憎しみを向けてしまう。
 温和な【白鯨】を危険と思ってしまうのは、人間が自分の感情をコントロールしきることのできない生き物だからだ。恐怖心や憎しみが【白鯨】を脅威に思わせる。人間たちはそれぞれに、自分の抱え込んだ禍根に振り回されてしまう。この物語をねじれさせているのは、感情に振り回される人間の弱さだろう。

 では、救いはどこにあるのだろう。【白鯨】の感情を持たない精神か。冷静な思考か。それは違う。

 人間は万能ではなく、人間のやり方が何もかもに通用はしない。間違いも犯すし、理不尽なこともしてしまう。人は弱く、悲しいことには折れてしまう。それを知り認めること。それがこの物語の救いになる。
 ただ穏やかな生存を望むだけの【白鯨】という生命ひとつに人間がこんなにも振り回されてしまうのは、ひとえに人間が感情を持つからだ。悲しみ、憎しみ、喪失感。そんなネガティブな感情が【白鯨】という透明な存在に色をつける。
 そのすべてと対峙して自分が抱えるものを見つめることができたその先に、この物語の解決と救いがある。
2010.03.10