初版:1999 年 7 月 集英社
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来るもの拒まずと噂される光秀と、誰もが認める優等生の恵理。同じ高校に通う対照的なふたりは、偶然の出来事から距離を縮めて行くことになる。
外からは見えない悩みを抱え現実に翻弄されるふたりの生と死、心と体をめぐるそれぞれの葛藤を描く。
私は人が持つラベルについてよく考える。外見や内面についてどの属性に属しているかということだ。性別、年齢、身長等もそういったラベルのひとつだ。
主人公のひとりである恵理の性に関するラベルは少数派に属している。しかも恵理が持っているラベルは親しい相手であればあるほど話せないような後ろ暗いものだ。だから恵理は幼い頃から本当の自分を人に見せたことがない。
そうやって家族や友人から自分を隠して生きてきた恵理が、光秀にその内面の一端を目撃されてしまう。この物語はそこから始まる。
目撃者が光秀だったのは単なる偶然だった。ただ、その光秀もまた周囲に対して自分を隠して生きているタイプの人間だった。対極の位置にいながら似た生き方をしているふたりが出会ったことで、奇妙な関係が築かれていく。
ただし、ただ似ているからといって本当の自分を素直に見せ合うわけにはいかない。そうできるほどふたりは器用ではなく、自意識も小さくない。
ふたりが互いに互いを見せ合うには、「お前のことなんてどうでもいい」というポーズが要る。そうやって相手の内面には関心が無いことにして、優しさも気遣いもなしにがむしゃらに自分をぶつけるやり方しかふたりには出来ない。
痛く、その割に伝えたいことを伝えきれないはがゆさに満ちた方法だ。けれど不器用だからこそ、まだ利口には生きられない年齢だからこそ、波に翻弄されながらも二人は互いに隅々まで自分を見せ合うことができたのだ。そしてふたりの冷淡だったはずの関係は、傷つき果てた彼らの唯一の拠り所にまで成長した。
半端に歳を取った人間は自分と周囲を上手に誤魔化す方法を覚えてしまう。そうなる前の、まだ自分をコントロールしきれない段階でしか恵理と光秀のような激しく生々しい交感はできない。
人が救われるために必要なのは優しさばかりではない。自分しか見る余裕のない人間同士が凶暴な我をぶつけ合って傷つき合い、血を流す。そんな痛いばかりの関係の果てに、他の何ものも代わることの出来ない、心を救う純粋な繋がりが生まれる。これはそういう物語なのだと思う。