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『限りなく透明に近いブルー』 村上 龍
初版:1976 年 7 月 講談社
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 米軍基地のある街でリュウは仲間と共に生きている。喧騒の真っ只中にいながら静けさを保つリュウの視線で語られる退廃した日々。

 この本が出版されたのは 1976 年。とっくの昔に定型句となってしまった「セックスとドラッグと暴力」というフレーズが驚きと新鮮さを持って受け止められていた時代の小説なのだろうと思う。

 主人公のリュウは米軍基地のある街で仲間たちと堕落した日々を送っている。彼の行動は友人たちとなんら変わらないように見える。ドラッグを打ち乱交パーティをし、すぐ隣には暴力がある。
 しかし同じ狂乱の日々のなかにいながら彼だけは異質なのだ。リュウは騒ぎの渦中にありながら徹頭徹尾傍観者である。目の前にあるものをただ観察している。
 彼を異質にさせるのは彼の視線だ。語り部であるリュウの描写はガラスでできた眼球を想像させる。その前にあるものをすべて等しく映し出すだけのガラス玉の瞳だ。リュウの視線には温度も感情もない。何を見るかという選別すら存在しない。そんなリュウの目に見えているという事実だけでこの小説は綴られている。

 彼らの日々はいつまでも変わらないように思える。異なるようで同じ毎日が惰性のままに永久に続いていくように見える。けれど時間が流れている以上、どれだけ同じことの繰り返しに見えてもそれは反復ではなく積み重ねなのだ。リュウの日々は確かに変化しているし、変化は終焉へと向かっている。
 その終焉でリュウの描写に初めて温度が宿る。リュウは他者の生を観察する無機的な世界から自分の生へと回帰する。その時にリュウが見る色がこの本のタイトルになる。

 現代には退廃すらない。穏やかな狂気があるだけで遊び狂う力すら残っていない。そういう意味では、彼らの日々は活気あふれるまばゆい世界にも見えてくる。
 時代が変わるごとにそれぞれに違う側面を見せる小説なのかもしれない。
2010.06.04