Jonathan Livingston Seagull
翻訳:五木 寛之
初版:1974 年 6 月 新潮社
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食べるために飛ぶだけのかもめの群れのなかにあって、ジョナサンはただ速く飛ぶためだけに飛び続ける。異端の存在である彼を両親は諌めるが、彼は飛ぶ歓びを忘れられず、寝食の間も惜しみ飛び続けた。
この物語は三部から成っていて、第一部ではかもめの群れのなかで特異な存在であるジョナサンの葛藤を描く。ジョナサンは速く飛びたいという強い欲求に駆られながらも、両親のためにそれをこらえようとする。飛ぶことに対する純粋な歓びと両親への愛情の狭間でゆれる様は、実に人間味に溢れている。この第一部は、童話によくある、人格を付与された動物の物語なのだ。
それが、第二部、第三部と進むにつれてストーリーはどんどん観念的になってくる。一枚一枚皮を剥いていくように、より高次な精神界へと舞台が移行していく。
飛ぶことの追求をやめられなかったジョナサンは仲間から追放され、その後彼と同じようにより速く飛ぶことに執着し他の仲間から爪弾きにされたかもめ達と出会う。しかし彼らのなかにあってもジョナサンの飛ぶことへの貪欲さは抜きん出ている。そんなジョナサンは、やがて飛行するかもめたちの伝道者的立場になっていく。
ジョナサンが周囲のかもめに畏敬される様子を見て、私はキリストのようだと感じていた。訳者による解説でも、そのような読み方があるとでていた。
ただ、キリストとははっきりとちがう部分がある。その一点で、私はジョナサンに好感を持った。彼が自らを選ばれた者と言っていないところだ。自分は他のかもめと同じ生き物で、どのかもめも自分と同じ場所まで達することができると、彼を特別視しようとする周囲のかもめたちに力強く語り、説く。
この説教をどのような意味あいでとらえるかは人それぞれだろう。『かもめのジョナサン』を読んで、私はこの物語を童話であり同時に哲学でもあると思った。そして、読む人によってはもっとちがう側面が出てくる本なんじゃないかとも。私は自分なりにしかこの本を読むことができないから想像するしかないけれど、鏡のように自分の哲学を映してくれる本のような気がする。
とても短い本だからそれほど時間を奪われることもないし、ぜひ一度読んでみるといいと思う。読みながら自分の頭で噛み砕くことで、自分の生き方への示唆にできる本なんじゃないだろうか。もしかしたら何も残らないかもしれないし、つまらないかもしれない。でも、なにかしら思うものはあるだろうと思う。