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『暗殺の年輪』 藤沢 周平
初版:1973 年 9 月 文藝春秋
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 藩内の権力争いに翻弄されながらも義を通そうとする下級武士を描く。――「暗殺の年輪」
 5 編の短編時代小説を収録。

 私が初めて読んだ藤沢周平さんの作品は『漆の実のみのる国』だった。最晩年の作品だ。次に読んだのが初期の短編集である『暗殺の年輪』。我ながら両極端だと思う。

 『漆の実のみのる国』は、熟練した作家らしい厚みと心地良さのある小説だった。対して『暗殺の年輪』に収録された短編はどの作品も重苦しい。一話読み終えるごとに、心のなかにずんずんと黒いものが溜まっていくようだった。続けて何冊も読みたいような傾向の小説ではない。
 この小説が切り出すくろぐろとしたものは人間の周囲を取り巻く闇ではなく、人間が自分の内に抱え込んでいる闇だ。人間が抱えているものは闇だけではないというのはもちろん事実だけれど、同時に、この小説にはこのような暗黒もまた人間という生き物の一面だなと頷かされる。

 実在の人物を描いたという意味で富嶽三十六景を描いた後の落ち目となった北斎を描いた「溟い海」、一作品としては隠居した老武士と息子、嫁を襲った騒動を描いた「ただ一撃」が印象深い。
 「ただ一撃」では、仕官を希望する者を試すための試合の相手としてひとりの老武士が指名される。かつて剣に覚えのあった老人は誰の目にも既にもうろくしたように見えたが老人はその試合を受けたがり、また嫁はそんな老人の背を押した。この老人と嫁との関係に心を乱される。特に私は女なので、嫁の心のうちを深く想像してしまうのだ。

 繰り返すけれど、この本に収録された短編はどれも暗澹としている。明るい話、救いのある話が好きだという人には薦めがたい。けれど、深く心にもぐってくる上質な時代小説であることは間違いない。
2010.08.14