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『蝶』 皆川 博子
蝶
初版:2005 年 12 月 文藝春秋
>> Amazon.co.jp(文春文庫)

 八編の小説が収録された短編集だ。いずれもどこか古い時代の空気を感じさせる短編で、実際、昭和初期などを舞台としたものも多い。
 私がこの本を読み始めたのは六月、読み終えたのは十一月に入ってからだ。もちろん五ヶ月間ずっと読んでいたわけではない。四編を読みきった時点で、耐えられなくなって放り出した。つまらなかったからだ。読むのが苦痛だった。面白さも楽しみ方もわからなかった。
 しかし半年近く時間を置いてまた続きを読み始めると、今度は驚くほどぐいぐいと皆川博子さんの世界に引き込まれた。残った四編を、一編一編を息を殺しながら、どの作品にも深く打ちのめされながら読んだ。
 五ヶ月前の私はたぶんライトなタッチの小説を読みたかったのだと思う。心の芯がぞっとするような皆川さんの作品が受けつけなかったのはそのせいだ。

 どの短編もはらんでいる温度が低い。人の持つ体温としてはひどく低い、かろうじて感じ取れる程度のぬくみしかない。そんな小説を読んでいると、こちらの温度までが下がってくる。日々暮らす陽光あふれる世界から連れ去られそうになる。その先はきっとこの世とあの世のはざまだとか、狂気の淵だとか、そういう風に呼ばれる場所だろう。
 想像力と共振を持って読むと、どこまでも深い奈落へ連れてゆかれる、恐ろしい小説だった。安手のホラーとは違う。ここにあるのはホラーではなく幻想の世界だ。「龍騎兵は近づけり」という作品に、叔母に読み聞かされた火で焙っても焼けない魚の話が怖いというくだりがある。「肉体の損傷は、痛いのであって不気味ではない。焙っても焼けない魚は、あり得ない不条理な存在である故に、薄気味悪く、恐ろしい。」と。
 この本に現れる恐ろしさ、不気味さはすべてこのたぐいのものだ。恐ろしげに語っているのではない。淡々と語られるそのものがただ恐ろしいものであるのだ。

 私は幻想世界という言葉に対して、桃源郷のような何もかもがうまくゆく夢のような世界を無意識にイメージしていた。しかし悪夢もまた夢なのだ。美しくともおぞましくとも、とにかくこの世ならざるものが現れる世界が、等しく幻想世界と呼ばれる場所なのである。

 無生物だけが持つしじまがこの小説を支配していた。生物である人間ですら、どこか作り物めいていた。人間が人間としての本質を失うと、この小説に登場するような人々になるのだと思う。
2010.11.05