昨日の夜、「住宅顕信句集 未完成」を読みました。おすすめ頂けたこと、ほんとうに感謝します。
中学から高校の初めころまで、ポストカードを集めるのが趣味でした。今考えると、ポストカードが好きだったわけではなく、写真が好きだったのだと思います。当時集めたポストカードは百数十枚あって、それは今も手元に残っているのですが、その中に、特別好きな一枚があります。
山奥の湯治場のような木製の湯船と裸電球、そして、
今日も一日 風をあるいてきた 山頭火
の文字。私が種田山頭火という俳人の句を始めて読んだのが、このポストカードです。それ以来、私にとって、自由律俳句というのは特殊な思い入れのある表現媒体になりました。今も、自分が言葉をつむぐときの根源のところにはこの山頭火の句があると思うし、いつかはこの世界に生きてみたいという思いもあります。
住宅顕信という人がこんな句を書けたのは、そりゃあ、この境遇だったからという面はあるでしょう。例えば彼が、八十まで健康に生きたら、まったく違うものを書いていただろうと思います。けれど、それは、読み手には関わりのないことだと思うのです。書き手の生い立ちやら、背景やらでなく、ただ作品を見つめるのが、創作にかかわる以上の礼儀であり、そうでなければ創作の意味がない。それが生まれたのが、うららかな太陽のもとでも、寒々とした夜の底でも、言葉の価値に違いは生じないと思います。
中学から高校の初めころまで、ポストカードを集めるのが趣味でした。今考えると、ポストカードが好きだったわけではなく、写真が好きだったのだと思います。当時集めたポストカードは百数十枚あって、それは今も手元に残っているのですが、その中に、特別好きな一枚があります。
山奥の湯治場のような木製の湯船と裸電球、そして、
今日も一日 風をあるいてきた 山頭火
の文字。私が種田山頭火という俳人の句を始めて読んだのが、このポストカードです。それ以来、私にとって、自由律俳句というのは特殊な思い入れのある表現媒体になりました。今も、自分が言葉をつむぐときの根源のところにはこの山頭火の句があると思うし、いつかはこの世界に生きてみたいという思いもあります。
住宅顕信という人がこんな句を書けたのは、そりゃあ、この境遇だったからという面はあるでしょう。例えば彼が、八十まで健康に生きたら、まったく違うものを書いていただろうと思います。けれど、それは、読み手には関わりのないことだと思うのです。書き手の生い立ちやら、背景やらでなく、ただ作品を見つめるのが、創作にかかわる以上の礼儀であり、そうでなければ創作の意味がない。それが生まれたのが、うららかな太陽のもとでも、寒々とした夜の底でも、言葉の価値に違いは生じないと思います。