25日に、「正義のミカタ?I'm a loser?」と「クレィドゥ・ザ・スカイ」を買ってきました。とあるブログに「正義のミカタ」の感想が載っているのを見つけ、「本多さん新刊出したの!?」…と悲鳴をあげて、大急ぎで買ってきたのです。
「クレィドゥ・ザ・スカイ」は、書店内を歩き回っていたらみつけたもの。こちらも出ていることに驚いて、ちょっと悲鳴をあげかけました(われながら挙動不審です)。
ライトノベルばかり読んでいた中学時代、一般小説を読むきっかけとなった作家である本多さん。一冊目の単行本である「MISSING」の装丁に強く惹かれて、それが初めて買った一般小説となりました。
それ以来単行本が出るたびに買い続けて、“デビュー当時から追い続けてきた”、“ハードカバーで集めている”、“全単行本を持っている”というさまざまな点で、私にとって特別かつ重要な作家さんなのです。なによりこの人がいなかったら、今の読書生活はなかったか、少なくとも中学生よりも遅くから始まっていたと思います。
「正義のミカタ?I'm a loser?」を読み始めたときは、新境地を開拓してるなぁ、と思っていました。本多さんのページのExtraの感想文を見てもわかるとおり、本多さんというのは私にとってはかなりシリアスな作家なのです。語り口は軽妙なんですが、語られる物語はとても切迫したものだと思う。
でも、読み終えたときに思い出していたのは、「MISSING」に収録されている「彼の棲む場所」でした。人の闇の部分をまっすぐに書き捉えて、その上で生きる道を探る主人公をえがく。本多さんの書く小説の根底には、そんな流れがあると感じています。
書き方の系統が今までとちがったのは確かで、その分ところどころでバランスがくずれていた感は否めないかなと思うのですが、前作の「真夜中の五分前 side-B」のラストがかなり心に苦しかった私としては、いい具合にガス抜きをしてもらった気分です。
絶妙のタイミングで方向転換をして、うまく舵取りをしてもらいました。
「クレィドゥ・ザ・スカイ」は、ずっと読み続けてきた「スカイ・クロラ」シリーズの最終巻です。このシリーズが終わってしまうことが心底惜しく、しばらくは読まずに本棚に寝かせておくつもりです。こんな気分になるのはめずらしいことで、「スカイ・クロラ」シリーズの存在の大きさを改めて再認識させられました。
このシリーズ、毎回さまざまな作品から一部引用をしているのですが、「クレィドゥ・ザ・スカイ」ではカポーティの「草の竪琴」を引用していました。
前4作の引用元は、読んだことのない作品ばかりだったのですが、今回、初めて読んだことのある作品からの引用になりました。しかもうれしいのは、沙々雪でおすすめいただいて読んだ作品だということ。こういう特別な偶然が、とてもうれしくて大好きなのです。
(しかし、この装丁の表紙にシールを貼るのはやめてほしい。簡単にはがれましたが、それでもぱっと見た瞬間に不快になるのはいなめません。2008年アニメ化、メディアに乗るのは仕方がないこととして、チラシをはさむなり帯をつけるなり、告知の仕方なんてほかにもいろいろあるはず。その上、毎回ストイックに本文以外はいっさい載せなかったこのシリーズが、なぜ最終巻にかぎって広告を入れるのか…。本文を読む前から、気になることが多々です。)
…長々と書きすぎるというくせが、文章を書くことから遠ざかっていると顕著になるようです。リハビリが済むまで、もうしばらくかかりそうです。
「クレィドゥ・ザ・スカイ」は、書店内を歩き回っていたらみつけたもの。こちらも出ていることに驚いて、ちょっと悲鳴をあげかけました(われながら挙動不審です)。
ライトノベルばかり読んでいた中学時代、一般小説を読むきっかけとなった作家である本多さん。一冊目の単行本である「MISSING」の装丁に強く惹かれて、それが初めて買った一般小説となりました。
それ以来単行本が出るたびに買い続けて、“デビュー当時から追い続けてきた”、“ハードカバーで集めている”、“全単行本を持っている”というさまざまな点で、私にとって特別かつ重要な作家さんなのです。なによりこの人がいなかったら、今の読書生活はなかったか、少なくとも中学生よりも遅くから始まっていたと思います。
「正義のミカタ?I'm a loser?」を読み始めたときは、新境地を開拓してるなぁ、と思っていました。本多さんのページのExtraの感想文を見てもわかるとおり、本多さんというのは私にとってはかなりシリアスな作家なのです。語り口は軽妙なんですが、語られる物語はとても切迫したものだと思う。
でも、読み終えたときに思い出していたのは、「MISSING」に収録されている「彼の棲む場所」でした。人の闇の部分をまっすぐに書き捉えて、その上で生きる道を探る主人公をえがく。本多さんの書く小説の根底には、そんな流れがあると感じています。
書き方の系統が今までとちがったのは確かで、その分ところどころでバランスがくずれていた感は否めないかなと思うのですが、前作の「真夜中の五分前 side-B」のラストがかなり心に苦しかった私としては、いい具合にガス抜きをしてもらった気分です。
絶妙のタイミングで方向転換をして、うまく舵取りをしてもらいました。
「クレィドゥ・ザ・スカイ」は、ずっと読み続けてきた「スカイ・クロラ」シリーズの最終巻です。このシリーズが終わってしまうことが心底惜しく、しばらくは読まずに本棚に寝かせておくつもりです。こんな気分になるのはめずらしいことで、「スカイ・クロラ」シリーズの存在の大きさを改めて再認識させられました。
このシリーズ、毎回さまざまな作品から一部引用をしているのですが、「クレィドゥ・ザ・スカイ」ではカポーティの「草の竪琴」を引用していました。
前4作の引用元は、読んだことのない作品ばかりだったのですが、今回、初めて読んだことのある作品からの引用になりました。しかもうれしいのは、沙々雪でおすすめいただいて読んだ作品だということ。こういう特別な偶然が、とてもうれしくて大好きなのです。
(しかし、この装丁の表紙にシールを貼るのはやめてほしい。簡単にはがれましたが、それでもぱっと見た瞬間に不快になるのはいなめません。2008年アニメ化、メディアに乗るのは仕方がないこととして、チラシをはさむなり帯をつけるなり、告知の仕方なんてほかにもいろいろあるはず。その上、毎回ストイックに本文以外はいっさい載せなかったこのシリーズが、なぜ最終巻にかぎって広告を入れるのか…。本文を読む前から、気になることが多々です。)
…長々と書きすぎるというくせが、文章を書くことから遠ざかっていると顕著になるようです。リハビリが済むまで、もうしばらくかかりそうです。