ここ最近、読んだことのない作家の本を集中して読もうと思っていました。一度でも読んだことのある作家の作品はあとまわしにして、新しい作家の開拓に力を入れたくなったのです。
が、その考えが、あっさりとひっくり返されました。勇嶺薫さんの、「赤い夢の迷宮」を見つけてしまったからです。
小学校のころに出逢った「そして五人がいなくなる」からずっと、私の読書歴のなかではやみねかおるさんは、とても重要な位置を占めてきました。児童書を書き続けてきたはやみねさんが、勇嶺薫として本を出すのは初めてのこと。
でも私は、勇嶺薫という名前を知っていたし、「赤い夢の迷宮」という本のタイトルにも、確かに聞き覚えがありました。はやみねさんは、夢水清志郎シリーズの冒頭に、勇嶺薫の作品からの引用というかたちで、すでに「赤い夢の迷宮」という作品の存在を示していたからです。
ぞっとするような、なのに強く惹きつけられるような、はやみねさんが書くものとはちがう確かな闇を感じる小説を、当時の私は心から読みたいと願っていました。けれど、調べてみても勇嶺薫が出した小説はない。ああ、これは架空の小説なんだ、私はこの小説を読むことはできないんだと、心底から寂しくなったのを覚えています。
たった数行のその引用文を初めて読んでから、もう十年が経とうとしています。ようやく、本当にようやく、夢がかないます。
十年も経てば、当時はやみねさんが考えていた物語とは、違った流れになっているかもしれません。文体だって、十年経てば変わっていてあたり前です。今手元にある「赤い夢の迷宮」が、十年前の私が期待したものなのかはわかりません。けれど、たとえ期待とは違っていたとしても、それは関係のないことなのです。こんなにも待ち焦がれた架空の本が、この世に存在している。それだけで、うれしさに震えんばかりです。
幼少期の体験ってずっとあとまで人に影響を与えるのだと、こういうときに痛感します。たった一冊の本にこんなにも強い反応を示すことは、めったにあることではありません。
が、その考えが、あっさりとひっくり返されました。勇嶺薫さんの、「赤い夢の迷宮」を見つけてしまったからです。
小学校のころに出逢った「そして五人がいなくなる」からずっと、私の読書歴のなかではやみねかおるさんは、とても重要な位置を占めてきました。児童書を書き続けてきたはやみねさんが、勇嶺薫として本を出すのは初めてのこと。
でも私は、勇嶺薫という名前を知っていたし、「赤い夢の迷宮」という本のタイトルにも、確かに聞き覚えがありました。はやみねさんは、夢水清志郎シリーズの冒頭に、勇嶺薫の作品からの引用というかたちで、すでに「赤い夢の迷宮」という作品の存在を示していたからです。
ぞっとするような、なのに強く惹きつけられるような、はやみねさんが書くものとはちがう確かな闇を感じる小説を、当時の私は心から読みたいと願っていました。けれど、調べてみても勇嶺薫が出した小説はない。ああ、これは架空の小説なんだ、私はこの小説を読むことはできないんだと、心底から寂しくなったのを覚えています。
たった数行のその引用文を初めて読んでから、もう十年が経とうとしています。ようやく、本当にようやく、夢がかないます。
十年も経てば、当時はやみねさんが考えていた物語とは、違った流れになっているかもしれません。文体だって、十年経てば変わっていてあたり前です。今手元にある「赤い夢の迷宮」が、十年前の私が期待したものなのかはわかりません。けれど、たとえ期待とは違っていたとしても、それは関係のないことなのです。こんなにも待ち焦がれた架空の本が、この世に存在している。それだけで、うれしさに震えんばかりです。
幼少期の体験ってずっとあとまで人に影響を与えるのだと、こういうときに痛感します。たった一冊の本にこんなにも強い反応を示すことは、めったにあることではありません。