メモ
2007.10.31
 13日から読み始めていた「屍鬼」を、今日読み終えました。ページを閉じてしばらく呆然とし、その後静信のふるまいを想って、泣きました。
 最初は、静信に共感して自分は泣いているのだと感じていたのですが、改めて考えてみると、おいそれと共感ということばを持ち出すには、彼はあまりにも特異な心の動きをしたことを思い起こさずにはいられません。ならば憐れみだろうか、それとも恐怖だろうかといろいろに可能性を思い浮かべてみたものの、なにがあふれて涙になったのか、自分の内をのぞけばのぞくほどわからなくなります。
 ひとつの村をまるごと舞台にした「屍鬼」には、途方もないほど多くの登場人物がいます。網の目のような血縁につながれた彼らのすべてを、一読しただけではなかなか把握しきれません。間違いがないのは、その多くの人々のなかで、私はだれよりも静信に心動かされ、同調していたということです。

 誤解されるだろうことを覚悟で言うと、読まなければよかったと思いました。小野不由美さんは、なんの遠慮会釈もなく、じかに感情に触れる小説を書く人なのだと痛感させられました。文字通りの痛感です。なにものも媒介にせず直接感情に触れられることほど、痛いことはありません。痛みというよりも、痛いと知覚することもできないほどの強すぎる刺激です。

 読んでいる最中もなんどか嗚咽がもれましたが、すべて、静信に係わる場面でした。私はなににこれほど反応しているのか、それが見えなかったために、私は読了後に呆然としてしまったのかもしれません。

 読まなければよかったと思うほど強い小説を読んだ経験は、思い出せる限り、とても少ないものです。その少ない経験則があてになるのであれば、時間が経ち、強すぎる刺激をどうにか消化し飲み込むことができれば、そのときには、おそらくかけがえのない存在に昇華されるだろうと思います。それまでの時間は、じっと忍んでいるしかありません。

 おすすめいただいている「きみのためのバラ」はもう手元にあるのですが、読み始めるまで、少し時間をもらいたいと思います。