メモ
2008.04.23
 結局昨日は、夜を徹して「黒いスイス」を読みきってしまいました。もう残り少ないし、と思って読んでいるうちに時間がどんどん過ぎて、真夜中も大幅に過ぎてからの読了になってしまいました。

 この本を書いた動機について、あとがきで著者は、スイスの人々は情感細やかな親切な人々なのになぜさまざまな暗い歴史を持つことになってしまったのか、それを理解したかったといったことを書いています。このような動機があったためだと思うのですが、スイスは日本人の思うような理想の国ではなく最低の国だ、という単純な視点からではない、事実に基づいた偏りのない見解が示されているように思います。もちろん、著者の視点が混入しない本はないけれど、それでも、危険な偏り方の視点はなかったと思います。

 この本で主に取り上げられている「黒い」スイスとは、スイスの人々の一部に残っている人種差別意識、他国にはない独自の政策(ヘロイン患者の治療のためにヘロインを合法的に支給する)、スイス銀行の預金者の情報開示拒否(スイスでは脱全は犯罪ではないため、他国で脱税した金をスイス銀行に預金した場合、その他国が情報開示を要求してもスイス銀行は応じない場合が多い)などです。そして、これらもろもろの政策や他国への態度は、多くの国から批判されています。その批判の方向性をまとめると、国際社会において、自国の利益だけを考えすぎている、というのが大きなひとつのようです。

 スイスは九州ほどの大きさの小国で、その中で自活してきた国です。小さいからこそ満ち足りることができた(経済的にも政治的にも、住民たちの関係も)、というのはきっとリアルな感覚として、スイスの人々に根付いているのではないかなと思います。この本のなかでも、直接民主主義(住民全員が集まって議題について決をとる方法の民主政治)にこだわる姿が書かれています。
 そこへ、外国人の流入や他国からの圧力がかかれば、「自分たちは自分たちの責任だけでここまで発展し、安定を勝ち得てきた。それを横から手をつっこまれて荒らされるいわれはない」と感じるのは、ある意味では、当然のことなのかもしれません。

 けれどそれがどこまで通用するのかと言えば、現在の世界はそれを許さないところまで、国同士のかかわりが深まっているように思います。かつての日本のように鎖国することなど、今の欧州でできるとは思えません。
 自国の利益を考えるなとはもちろん言えない。しかし、自国と他国のバランスをもう一度考え直さなくては、この地球という小さくなりつつある世界で、居場所を失うことにもなりかねないような気がします。それは日本についても、同じことが言えますが。