メモ
2008.05.20
 「鉄塔家族」を読了しました。
 デジタル放送用の鉄塔が立ち古い鉄塔が撤去されるまでの一年、その鉄塔の足元で暮らす人々の生活つづった物語です。

 草花や鳥などの、自然描写が多い小説でした。だから、読み始めたころは「のんびりと田舎暮らしを楽しむ人々」や「スローライフを実践している人たちの満ち足りた生活」を想像してしまいました。けれど、実際にかかれていたのは、ただただ現実の日々の生活でした。やたらと重苦しいわけではないけれど、決して明るさや健やかさばかりではない、地に足のついた日々が続いていきます。

 「鉄塔家族」は私小説なので、地に足がついているのはあたりまえ、とくくってしまうこともできるけれど、どうもそれはちがうように思います。解説でも触れられているように、作者の影である斎木もまた、作中では一登場人物として相対化されています。「私はどうした」ばかりで書かれた作者を中心とした小説ではなく、作者もまた登場人物のひとりにまで落とし込まれているのです。
 私はほとんど私小説を読んだことがないので言い切ることはできないけれど、「鉄塔家族」の持つ現実味は、作者の願望などを入り混じらせないことからうまれた、私小説としてもめずらしいものな気がします。

 ていねいにそれぞれの日々がつづられていくことでひとつの作品となっていて、その上登場人物たちが過去を回想することで物語は空間だけではなく時間の広がりも見せ、さまざまな人生をのぞき見ている気持ちになります。
 見える人生にはもちろん順風満帆なものなどはなく、むしろ平凡とは呼べないものが多くでてきます。けれど、それでも読み終えたときに充足感や心地よさを覚えるのは、それぞれの人々が自分の日々に折り合いをつけ、責任を持った上で自由をまっとうしているから、そしてやはり、自然描写の多さからつたわってくる空気の気持ちよさにもよるものかもしれません。

 読み出したときに予想していた、田舎に住んでいる人ってのんびりした人が多そうでいいよね、という小説では決してないことを実感し、そしてその上で、うわべばかりが整っている雑誌のような生活とはちがう、ふぞろいながらもありのままの充実を得ている人々を想い、その生活を想って、読了しました。
 いろんな人に読んでみてもらいたいと思う小説が、またひとつできました。