メモ
2008.07.02
 「魂の光景」、じっくりと読み進めています。感性をまるきりそのまま言葉にしているような文章で、ゆっくりと自分に染み込ませるようにして読んでいます。

 10以上のエッセイが収録されているなかのまだ2作目なのだけれど、1作目の「焼け跡について」というエッセイ。こんなにも年代が離れた人の感性や心を理解できる、と言ってしまう自信はないのだけれど、それでも、自分は著者と同じ感覚を持っていると思う。どうしようもなく、そう感じてしまった。

 人間的であること(もっと単純に言ってしまえば人間自体)がもっとも自分が親しむべきものである、という考えを私はどうしても持てない。人間嫌い、というのとも違う。ただ、人間を特別視することができない。それは相対的にみれば、普通よりも人間を大切にしていない、人間性に欠ける、ということになるのかもしれない。思いやりがない、人間関係に対してドライ過ぎる、と見ることもできだろう。それを否定する気はないし、否定できるとも思わない。
 ただ、それほど人間を特別視する理由はなんだろう? 私には、自分が人間だからという以外の理由は思いつかない。人間を特別視しないということは自分を特別視しないということにもつながる。それはたしかに厳しいことだ。誰だって大なり小なり、自分は特別だと思いたいものだ。もし自分ひとりが特別にはなれないのなら、人間という全体がそもそも特別なんだと考えたくなる。さらに付け加えれば、自分が特別でないと認識するのは生き物として、とても危険なことなのかもしれない。生命の危険が迫ったとき、瞬間的に自分を守ることを優先できないかもしれない。
 けれど、私はニュートラルな視点を持つことに慣れてしまった。一般的な人間性を得るために自分の考え方を変える必要を感じられない。人間が特別自分に近しいものだと考えることは、私にはもうできない。少なくとも今のところは。

 以下は私信です。反転してお読み下さい。
> トキさま
こんにちは、おすすめありがとうございます。とてもいい本を紹介していただいて嬉しいです。
羽化する蝶々から見ていただいてたということで、なんだか恥ずかしいやらありがたいやらです。メルマガまで読んでいただいて、嬉しいです。自分の書いたものが誰かの記憶に残っている、それが思い出されることがある、というのはたまらなくうれしいことです。「赤い月」、なおさら大切に読みますね。
ちなみに、宣伝のようですが今も文章のサイトはやっています。メルマガもそちらで細々と続けています。羽化する蝶々とは書いているものもずいぶん変わりましたし、トキさんの感性も変わっているとは思いますが、よろしければお時間のあるときにでもお越し下さい。
http://swd.xtr.jp/galan-en/