読む本と雑誌が溜まっていて、ちょっと順番を整理しておこうと思います。ということで、以下は自分用の覚え書です。自分の目にしかつかないところに書いても忘れてしまうので。
今読んでいる「魂の光景」のあとは、推薦でおすすめいただいた「ノスタルギガンテス」と「人間失格」。そのあとは、「yom yom」のvol. 6とvol. 7を続けて読んで、雑誌つながりで「Story Seller」を(というか雑誌はできれば積読したくない…なかった)。
ただ、「ノスタルギガンテス」は入荷待ちの状態だから「魂の光景」を読み終えるタイミングによっては「yom yom」か「Story Seller」を先に読むことになるかも。
あと、これはまだ買っていないけど「スカイ・クロラ」シリーズの番外編「スカイ・イクリプス」は早く読みたい。本編は読むのがもったいなくて新刊が出てもなかなか読み出せなかったけど、完結したことで気が抜けたのか、気構えずに読みたいと思うようになった。でも買うのは、ルミネカードが10%オフセールをやるときだから…いつになるかは未定。
ここまで読み終わったら、あとは小説と小説以外をバランスよく読んでいこう。
「魂の光景」、こんなに知れてよかったと思う本は久しぶり。2日のメモでも言ったけれど、ところどころに共感してやまない言葉や感覚が書かれてある。闇を直視はしない、見えたものそのままに言葉にしたりしない、ごまかしと曖昧さを上手に使う。それはとても普通のことでそれができるのは重要なことなのだけれど、真実やありのままの世界の在り様を見てしまった人にはもうそれができない。
54ページ 14行目より引用。
63ページ 2行目より引用。
「赤い月」という短いエッセイについて。
世界が自分に害をなすことがあってもそこに悪意はないと思いたいし、生きてゆくということは希望だと信じていたい。誰だってそうだろう。そうしなければ、世界に警戒しながら、生きることはいやらしいものだと感じながら歩いていかなければならない。自分は世界から嫌悪され、生きることは泥のように気持ちの悪いものだと信じていたい人など、たぶんどこにもいない。そして、大抵の人は(私も含めて)、人は世界と生きることに対する明るい思い込みに成功する。生まれたときからずっと、周囲がそう信じさせようとしてくれ自身もそう信じたいと強く思いながら成長する。
けれど日野啓三というひとには、あるがままの世界がどうしても見えてしまうのかもしれない。たしかに私はこの日野啓三というひとの感覚に共感することが多々あるけれど、それでも、彼ほどの深い暗さは知らない。なぜ彼の視野はこうも「普通の人」と違うのか、それはとても理解できない。
この世界で安らかに生きるには、きっと彼はよく見えすぎるんだろう。
今読んでいる「魂の光景」のあとは、推薦でおすすめいただいた「ノスタルギガンテス」と「人間失格」。そのあとは、「yom yom」のvol. 6とvol. 7を続けて読んで、雑誌つながりで「Story Seller」を(というか雑誌はできれば積読したくない…なかった)。
ただ、「ノスタルギガンテス」は入荷待ちの状態だから「魂の光景」を読み終えるタイミングによっては「yom yom」か「Story Seller」を先に読むことになるかも。
あと、これはまだ買っていないけど「スカイ・クロラ」シリーズの番外編「スカイ・イクリプス」は早く読みたい。本編は読むのがもったいなくて新刊が出てもなかなか読み出せなかったけど、完結したことで気が抜けたのか、気構えずに読みたいと思うようになった。でも買うのは、ルミネカードが10%オフセールをやるときだから…いつになるかは未定。
ここまで読み終わったら、あとは小説と小説以外をバランスよく読んでいこう。
「魂の光景」、こんなに知れてよかったと思う本は久しぶり。2日のメモでも言ったけれど、ところどころに共感してやまない言葉や感覚が書かれてある。闇を直視はしない、見えたものそのままに言葉にしたりしない、ごまかしと曖昧さを上手に使う。それはとても普通のことでそれができるのは重要なことなのだけれど、真実やありのままの世界の在り様を見てしまった人にはもうそれができない。
54ページ 14行目より引用。
「狂気とは世界のあるがままの姿を、あまりに正確に映す意識のことにちがいない。不正確になればなるほど、人は正気になる」
63ページ 2行目より引用。
根源的なリアリティーを正確に感じとり表現するためには、あえて不明確であることが必要であるにちがいない。
「赤い月」という短いエッセイについて。
世界が自分に害をなすことがあってもそこに悪意はないと思いたいし、生きてゆくということは希望だと信じていたい。誰だってそうだろう。そうしなければ、世界に警戒しながら、生きることはいやらしいものだと感じながら歩いていかなければならない。自分は世界から嫌悪され、生きることは泥のように気持ちの悪いものだと信じていたい人など、たぶんどこにもいない。そして、大抵の人は(私も含めて)、人は世界と生きることに対する明るい思い込みに成功する。生まれたときからずっと、周囲がそう信じさせようとしてくれ自身もそう信じたいと強く思いながら成長する。
けれど日野啓三というひとには、あるがままの世界がどうしても見えてしまうのかもしれない。たしかに私はこの日野啓三というひとの感覚に共感することが多々あるけれど、それでも、彼ほどの深い暗さは知らない。なぜ彼の視野はこうも「普通の人」と違うのか、それはとても理解できない。
この世界で安らかに生きるには、きっと彼はよく見えすぎるんだろう。