長すぎるほどの時間をかけてしまいましたが、「魂の光景」を読了しました。なかなか味わうことのない、特殊な読書体験をしたと思っています。
生まれた年に60年以上の隔たりがある筆者と自分に、表面的に明確な共通項があるとはとても思えない。それでも、筆者の語る言葉や見えているものは不思議なほどすんなりと、私のなかに実感として了解することのできるものばかりだった。筆者の言葉を通して追体験してる感覚も何度もあった。それは単に日野さんの文筆力によるものかもしれない。確かに、とても的確にものを表せる人だと思う。無理な言葉の押し付けで事象や意識、思考を捻じ曲げてしまわない、そこにあるものに対してとても忠実な書き方をする人だ。
けれど、それだけではない、と強く思う。どこか私には日野さんと通じる場所があるのだと(それが思考なのか意識なのかはわからないけれど)、そう信じたいと思われてやまない。
あれこれ書くよりも、気になった部分を覚え書として引用しておく。
182ページ 1行目より。
235ページ 5行目より。
241ページ 14行目より。
242ページ 3行目より。
生まれた年に60年以上の隔たりがある筆者と自分に、表面的に明確な共通項があるとはとても思えない。それでも、筆者の語る言葉や見えているものは不思議なほどすんなりと、私のなかに実感として了解することのできるものばかりだった。筆者の言葉を通して追体験してる感覚も何度もあった。それは単に日野さんの文筆力によるものかもしれない。確かに、とても的確にものを表せる人だと思う。無理な言葉の押し付けで事象や意識、思考を捻じ曲げてしまわない、そこにあるものに対してとても忠実な書き方をする人だ。
けれど、それだけではない、と強く思う。どこか私には日野さんと通じる場所があるのだと(それが思考なのか意識なのかはわからないけれど)、そう信じたいと思われてやまない。
あれこれ書くよりも、気になった部分を覚え書として引用しておく。
182ページ 1行目より。
彼らのほとんど無意識の非社会性(意志的な反社会性ではなく)は、人間関係の過負荷(オーバーロード)から人類の脳を解放する、というネガティヴな進化の役割を果たしつつあるように、私には見える。
235ページ 5行目より。
つまりこの文章は、夜明け方の夢や真っ昼間ふっと落ち込む意識の空白を除いて、だらだらと続く日常的、生活的、単純な因果律的な時間の連なりと空間の広がりを、写実的に記述してそれをリアリズムと呼ぶそのいわゆるリアルさを、絶対に「ほんとうのこと」とは考えも感じもしない人間の文章である。
241ページ 14行目より。
無意識なるものの意識化こそ文字の使命
242ページ 3行目より。
「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」