メモ
2008.07.30
 推薦にておすすめいただいている「ノスタルギガンテス」、昨日から読み始めています。

 主人公の男の子の一人称で進む文章はとてもよみやすくて、そしてあけすけな毒と悪意にあふれている。正義と対立する排除されるべき毒ではなく、正義となんら変わりのないひとつの感情としての悪意。
 悪意も善意も持ってしまったんだから仕方がないじゃないか、というのは間違いではない。間違いではないけれど、そう言ってしまうと誰もが困ってしまう。悪意を持つことを悪にしないで、世界は回れない。だから、善意はよいことで悪意はだめだから持っちゃいけない、ということになっている。けれどそうやって理屈のために現実を否定することを主人公の少年は、むしろ子どもはしない。だから、黒く染まっていないありのままの悪意がそこにある。死体、廃墟、マネキン、そういう言葉を人に当てはめて使うことに罪悪感を持たない。なぜならそれが彼にとっての事実だからだ。

 人は自分と同じものを見ていない。これを実感することは、自分のなかにひとつ絶対的な諦めを抱えることだと、私は思う。その時期として、少年の年頃はたぶんまだ早かったのだろう。けれど、早かったからといって一度持った実感を消し去ることは、できやしないのだ。受け入れて、どうやっても諦めるしかない。