メモ
2008.11.03
 昨日の夜に「後巷説百物語」を読了しました。

 京極夏彦の作品を読むのはこれが初めてで、読み出す前は京極作品は軽い口あたりの読み物だと思っていました。私には、妖怪小説ということから京極作品をファンタジーの一種だと思っていたふしがあり、それが“軽い”と感じる原因であったと思います。
 読みやすい文体に軽妙な翁の語り口、はっきりとキャラクター付けされた登場人物。思っていたよりも骨組みのしっかりした小説だとは感じましたが、それでもやはり娯楽小説だという感はぬぐいきれないまま読み進めていました。

 その手ごたえが変わったのは6作品収録されたこの本のなかば過ぎ、4作目の「山男」のあたりでしょうか。読了後に知りましたが、この百物語シリーズの前2作では翁が主人公であったということで、その翁が語り部の立ち位置から動き出し自らの思いを垣間見せる段になってようやく、この物語は動き出したと言えるのかもしれません。
 そして「山男」以降の「五位の光」、「風の神」と読み進めて感じたのは、翁の過去に対する切実な思いの強さでした。翁の過去とは、惹かれながらも決して並び立つことはかなわない又市という男とともにいた時間のことです。又市に対する翁の思いの強さが、この作品中の機軸となっているように思えるのです。

 生きることに切実であった翁の姿とその翁が自らに似ていると感じた与次郎という青年。残念ながら百物語シリーズの1作目と2作目を飛ばして読んでしまった私は確かな感覚として実感できたわけではありませんが、この「後巷説物語」は翁から与次郎に語り部の視点が受け継がれていく物語なのかなと感じたのです。
 やはり、シリーズを飛ばして読むなんてことはしてはいけないなと改めて実感しました。折をみて、前2作と「前巷説百物語」も読んでみようと思います。