メモ
2008.12.15
 13日の夜、時間がなくて読了本の感想が書けないと言いつつ、夜ふかしをして「国のない男」を読了してしまいました。

 ユーモアと皮肉のバランスが抜群の文は読んでいてするすると身のうちに入ってくる。読み流すのではなく、熟読しながらも先へ先へと目が追ってしまう。

 吹き出すように笑ってしまう言い回しがたくさんあるなかで、はっとさせられたり胸が痛くなったりすることもおなじくらい多かった。
 戦争や環境問題、ほかにもこの地球で起こっているさまざまなリアルタイムなトラブルについて言及されている。そしてそこから、アメリカという国や人間のおろかさへの失望がくっきりと浮かび上がっている。

 ヴォネガットは楽観視したり手軽な希望をちらつかせたりしない。現実に起こったことだけを述べている。その姿勢は一貫している。今の人間たちに対してとても厳しい。そして、とても優しい。

 個人的に、人を怒るのは優しい人だと思っている。私はあまり優しくないので、他人が気に障ることをしても間違ったことをしていても、勝手にしていればいいと思って怒ってあげることがほとんどない。よほど身近な人に対してだけだ。
 ヴォネガットが優しいと思う理由はこれだ。ヴォネガットの皮肉が痛烈なのは、それだけ人間を近くに感じているからなのだと思う。それはなにより、カバーそでに抜粋されている「百年後、人類がまだ笑っていたら、わたしはきっとうれしいと思う。」ということばに表れている。ヴォネガットは百年前の地球も百年後の人類も、そしてどんな場所にいる人も、今ここにいる自分とおなじようにとらえている。

 私はヴォネガットの本を読んだのはこれが初めてだけれど、きっとヴォネガットはその生涯を通じて考え続け、それを書き、本というかたちにして私たちに残してくれたのだと思う。できることを精一杯のちからでやり抜いたのではないかと思う。
 では、次に私たちは何をすればいいだろう。たった一冊の本からでも、私がヴォネガットから受け取ったものは大きい。それだけのものを遺してくれたヴォネガットに恥じずに向き合うために何をすればいいだろう。
 ヴォネガットは、後世の人々に未来を託すだなんてことは絶対に言わないだろう。手軽できれいな希望には手を出さない人だと思う。だからこそ、今これから生きていく私たちは精一杯のことをしなければならない。期待に報いるためではなく、期待という重荷を背負わせない優しさを持った人に報いるために。