メモ
2009.01.11
 昨日「巡礼者たち」を読了して、感想を書く時間を取れずそのまま寝てしまい、今日も書くことができないままになってしまいました。明日、書こうと思います。とてもいい読書でした。
 そして、「巡礼者たち」の次はおすすめいただいている順に従って「シェル・コレクター」を読もうと思ったのですが、最初の数行を読んでみて「巡礼者たち」とはまったく違うタイプの小説であるような気がして「巡礼者たち」の感触を持ち続けたまま読める小説ではないなと思い、同時に“アメリカの短編小説である”という共通点があることで2冊の間に無いはずの関連性を見つけながら読んでしまいそうな気もして、間に1冊日本の小説を挟むことにしました。そんな理由で前々から買ってあった「コッペリア」を読み始めて、半日ほどで読了してしまいました。

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 人形に恋をした了は、ある日人形そっくりの女性・聖と出会う。人形の作者であるまゆら、まゆらの人形師としての才能を見出した創也、聖の所属する小劇団の団員たち。様々な立場の人々がそれぞれに人形にかかわるなかで、ゆがんだ関係が生まれていく。

 私は一語一語まで選び抜いたような隅々まで推敲された文章が好きで、そういう意味では加納さんの小説は私にとって読み心地のいい小説ではない。読んでいてすんなりと心に染み込んでこなかったのは、自分の文章を人目を引く斬新なものにしようと画策するあざとさと、そのくせ言葉ひとつの配置には無頓着で荒っぽいという性分が透けて見えるような印象を受けたからだと思う。もちろんこれは私の勝手なイメージだ。

 けれどそれとは別に、私は了と聖のふたりが好きだ。何かが欠落してしまっている了の人格も聖の肩肘を張った強さも、私にとっては微笑ましくて好もしい。
 互いにねじれた生い立ちを持ち、そのために人間に素直な恋をすることができない了と聖。境遇の似たもの同士が惹かれあうというのは小説としてよくある話だけれど、不器用すぎるふたりは遠回りに遠回りを重ねてすれ違う。
 冒頭にギリシャ神話のピグマリオンの話が引用されている。人形に恋する男の話だ。裏表紙のあらすじにはミステリーと書いてあるけれど、この引用が示すとおり「コッペリア」はミステリー風味の恋愛小説だと思う。この小説は、ふたりのたどたどしい恋愛を丸々1冊ついやして語っている。

 3つの章とエピローグから成る「コッペリア」で、事件のネタ明かしがされるのは第2章の終りだ。第3章では事件の詳しい解説と顛末、そして後始末がじっくりと綴られている。
 本のなかばで事件は解明され、その後の話にここまでページ数を割くミステリーを私は知らない。私が「コッペリア」を恋愛小説だと感じる大きな理由はここにある。だからなおさら、加納さんの文体にどうしても馴染めないことがもったいなかった。恋愛小説を読んでしっかりと受けとめるには登場人物の感情を自分の生身に起こったことのように感じ取ることが必要だと思っているのだけど、それがちっともできなかった。人間として登場人物が立ち上がってくるのを感じられなかった。

 本当に惜しいことだけど、相性の良し悪しというのはある。私と加納さんの文章の相性が良ければ、まったくちがった感想を持っただろうなと思う。