大学の課題の本を読まないといけないのですが、なんだかちっとも読み進まないので「13階段」と「ウォーレスの人魚」で息抜きです。やっぱり私は小説が戻っていく場所なんだなぁ、と思います。読んでいて一番楽に息ができる感じ。だからこそ、小説以外のものを読むのも面白いんですけどね。
「幽霊人命救助隊」の感想ですでに言ったことだけど、高野さんは重いテーマをエンターテインメント小説に落とし込むのがうまい。バランス感覚で切り抜けているというよりは、きちんと計算して見せ方をコントロールした上で書いている感じがする。
「幽霊人命救助隊」では自殺を、「13階段」では死刑制度を扱っている。どちらも命にかかわるものだ。おいそれと手を出したら大きなしっぺ返しをくらうようなテーマだと思う。
重いテーマを、読者に大ダメージを与えることを理解した上で重く書く作家がいる。私はそういう作家が好きだ。ずっしりとした量感のある小説ばかり読みたくなるときは多い。そして、その反動で軽い小説を馬鹿にしがちな傾向がある。
けれどだからこそ、重いテーマを読者にダメージを与えずに書くというのが大切なことだということを忘れたくない。自殺や死刑制度というテーマをエンターテインメントの世界に落とし込むというのは、不謹慎だととらえる人もいるのかもしれない。けれど、作者自身が深く考えているのでなければここまで後に残る小説にはならないと思うのだ。重い小説だけが良い小説ではない。これは忘れたくない。
そして、岩井俊二の「ウォーレスの人魚」。
私にとって岩井俊二はあくまでも映画監督であって作家ではない。たぶん岩井俊二本人にとってもそうだろうと思う。だから、作家の作品としては読まなかった。作家の書いたものとして読めば文章の綺麗さやことばの選び方にまで注意が向くし、そこに違和感を覚えてしまえばそれは大きなマイナス点になる。けれど、この本に関してはただストーリーだけを追っていた。
とはいえ、映画監督か作家かというところをそれほど意識しなくても自然とストーリーに引き込まれていたかもしれない。先へ先へと読み進めずにはいられない魔力のようなものがある本だった。
人魚を知らない人はいない。同時に知っている人間もいない。アンデルセンの人魚姫や半魚人の伝説を知らないという人はいないだろうし、人魚の生態を知っているという人だっていないだろう。なぜなら人魚は実在しないからだ。
では、その人魚にリアリティを生み出すにはどうしたらいいだろう? 読者を興ざめさせないほどの力強さで人魚に実在感を与えるには、現実の学説や実在の生物の生態を調べ上げ、人魚という空想の存在に肉付けしていくしかない。岩井俊二は、人魚という架空の生き物を実在の生物の域に限りなく近づけた。「もしかしたらこの小説のように、どこかに人魚はいるのかもしれない」。ちょっと空想好きなタイプならそう思いたくなるだけのリアリティがある。
岩井俊二の映画にはグロテスクなものもえげつないものもぽんぽん現れる。そういうものを読み手の目前にはっきりと持ってくる岩井俊二でなければ、ここまで人魚に生身の肉体を与えることはできなかっただろうと思う。
生殖・妊娠・出産という一連の流れは原始的かつ巨大なタブーのひとつだと思うのだけど、岩井俊二はずかずかとそこへ踏み込んでいく。この気分が悪くなるほどの生々しさが、私が岩井俊二のつくる世界に惹かれてやまない理由でもある。
ふつうの小説に食傷気味になって、荒削りでもいいからひとつの世界に思い切り没頭したいと感じたとき、読んでみてもらいたい。
「幽霊人命救助隊」の感想ですでに言ったことだけど、高野さんは重いテーマをエンターテインメント小説に落とし込むのがうまい。バランス感覚で切り抜けているというよりは、きちんと計算して見せ方をコントロールした上で書いている感じがする。
「幽霊人命救助隊」では自殺を、「13階段」では死刑制度を扱っている。どちらも命にかかわるものだ。おいそれと手を出したら大きなしっぺ返しをくらうようなテーマだと思う。
重いテーマを、読者に大ダメージを与えることを理解した上で重く書く作家がいる。私はそういう作家が好きだ。ずっしりとした量感のある小説ばかり読みたくなるときは多い。そして、その反動で軽い小説を馬鹿にしがちな傾向がある。
けれどだからこそ、重いテーマを読者にダメージを与えずに書くというのが大切なことだということを忘れたくない。自殺や死刑制度というテーマをエンターテインメントの世界に落とし込むというのは、不謹慎だととらえる人もいるのかもしれない。けれど、作者自身が深く考えているのでなければここまで後に残る小説にはならないと思うのだ。重い小説だけが良い小説ではない。これは忘れたくない。
そして、岩井俊二の「ウォーレスの人魚」。
私にとって岩井俊二はあくまでも映画監督であって作家ではない。たぶん岩井俊二本人にとってもそうだろうと思う。だから、作家の作品としては読まなかった。作家の書いたものとして読めば文章の綺麗さやことばの選び方にまで注意が向くし、そこに違和感を覚えてしまえばそれは大きなマイナス点になる。けれど、この本に関してはただストーリーだけを追っていた。
とはいえ、映画監督か作家かというところをそれほど意識しなくても自然とストーリーに引き込まれていたかもしれない。先へ先へと読み進めずにはいられない魔力のようなものがある本だった。
人魚を知らない人はいない。同時に知っている人間もいない。アンデルセンの人魚姫や半魚人の伝説を知らないという人はいないだろうし、人魚の生態を知っているという人だっていないだろう。なぜなら人魚は実在しないからだ。
では、その人魚にリアリティを生み出すにはどうしたらいいだろう? 読者を興ざめさせないほどの力強さで人魚に実在感を与えるには、現実の学説や実在の生物の生態を調べ上げ、人魚という空想の存在に肉付けしていくしかない。岩井俊二は、人魚という架空の生き物を実在の生物の域に限りなく近づけた。「もしかしたらこの小説のように、どこかに人魚はいるのかもしれない」。ちょっと空想好きなタイプならそう思いたくなるだけのリアリティがある。
岩井俊二の映画にはグロテスクなものもえげつないものもぽんぽん現れる。そういうものを読み手の目前にはっきりと持ってくる岩井俊二でなければ、ここまで人魚に生身の肉体を与えることはできなかっただろうと思う。
生殖・妊娠・出産という一連の流れは原始的かつ巨大なタブーのひとつだと思うのだけど、岩井俊二はずかずかとそこへ踏み込んでいく。この気分が悪くなるほどの生々しさが、私が岩井俊二のつくる世界に惹かれてやまない理由でもある。
ふつうの小説に食傷気味になって、荒削りでもいいからひとつの世界に思い切り没頭したいと感じたとき、読んでみてもらいたい。