大学の研究に少し関係がありそうだと思って、今『ウェブ進化論』を読んでいます。もう3年前の本なんですが、とても興味深い。
私がウェブの住人になってもう10年近くになるのですが、その10年の間にウェブは大きく様変わりしています。そのことに対して私はさまざまなシーンで違和感を感じてきたんですが、それをはっきりと分析したことはありませんでした。その違和感の発生理由であるウェブの変化の過程が、わかりやすく的確に書かれている本です。
私がウェブの世界を歩き出したころは、いい意味でも悪い意味でもウェブ上に統一性はなかった。個々人がつくるサイトが最小単位で、同時に最大単位でもあった。規模の大小こそあれひとつひとつのサイトは互いに対等で、その上位に存在して個々のサイトを管理するものはなかった。
けれどブログが登場し、HTMLを勉強してデザインを一から考えてウェブサイトを構築するという手間は必要なくなった。自分を表現するためには自分の手で白い紙の上に罫線を引くことから始めなければならなかったのに、今ウェブの世界は自由に書き込めるノートであふれている。人の表現の場がどんどん統合化されていく。方法は簡易になり、企業が自己表現のツールをいくらでも提供してくれる。
そしてその便利さと引き換えに、ブログひとつひとつはすべてブログシステム供給会社の管轄に属すことになる。そうなると、多かれ少なかれそのブログシステム供給会社の風潮ややり方に左右されながら、ブログという自己表現媒体を扱っていくことになる。上に管理するものがいるブログという場で、本当に自由な自己表現になりえるんだろうか? 私にはどうしてもブログという場で自由に活動できる気がしない。ましてやmixiでは絶対に無理だ。だから私はサイトという形態で活動し続けている。
表現の場だけではない。ショッピングサイトは楽天に、本ならアマゾンに統一された。管理人たちが個々の自己所有物としてそれぞれ持っていた掲示板やチャットというコミュニケーションの場はSNSやtwitterに統合され、ひとつの企業の管轄下に置かれた。
統一化が進み、多くの人々が同じシステムの利用者でいる。完璧に区画分けされた四角い島のなかで暮らしているような窮屈な感覚。
また、自社のシステムをオープンにして下位の企業に利用してもらうという形式が増えた。パソコンでも携帯でもグーグル・マップのシステムが搭載されて、オリジナルの地図システムを利用しているツールはなくなっていく。インターフェイスばかりがどんどんと多様化して、実際のシステムの数は淘汰され統合され、減っているのではないか。これもやはり、雑然とした世界からの脱却だ。
私は何に関しても保守的な考え方の人間で、まだブログもないSNSもない、原始のウェブの世界がなつかしい。2000年を原始のウェブというのは間違いだろうけれど、今よりもずっと混沌としていたのは確かだと思う。
私は沙々雪をオフの知り合いに教えることに強い抵抗がある。SNSなどでオフの知り合いとウェブ上でやりとりすることにも強烈な違和感がある。それはたぶん、オンラインの匿名性やアンダーグラウンドな感じをとても気に入っていたからだろう。ブログに抵抗感があるのも、すべてが整頓され白日のもとにさらされている感じになじめないからだ。沙々雪を始めるときも、ブログシステムを利用した方がずっとやりやすいのはわかっていたけれど、あえて旧態依然としたウェブサイトという形式で手間隙をかけることにした。懐古趣味だと思う。
それほどパソコンに詳しくない人でもネットをまったくやらないという人は少なくなった。以前はマニアのものであったネットは、どんどんオープンな場に改造されている。それは仕方のないことだし悪いことではないのだろう。
ただ、個人的な思いとして、ウェブの世界はオフとはまったく違う場所であって欲しい。オフの延長線上にウェブの世界があるのではなく、オフとは無関係の場として、ウェブには存在していて欲しい。薄暗さや雑然とした混沌が残り、またそれが許される場であって欲しい。未統一の混沌は、きっとこれからもどんどんそのスケールを小さくしていくだろう。けれど、私はできる限り、その混沌のなかに身を留めていたいと思う。統一と整頓ばかりがすべてでは、どうしようもなく寂しくなってしまう。
私はこれからも、ウェブ上でオフの知り合いとやりとりすることに違和感を抱き続けたまま、ウェブ上の私の姿をオフの知り合いの前にさらすことに抵抗感を持ち続けたままでいるだろう。
*
本の感想とはまったく別の話となりましたが、どうしても書いておきたくて。
私がウェブの住人になってもう10年近くになるのですが、その10年の間にウェブは大きく様変わりしています。そのことに対して私はさまざまなシーンで違和感を感じてきたんですが、それをはっきりと分析したことはありませんでした。その違和感の発生理由であるウェブの変化の過程が、わかりやすく的確に書かれている本です。
私がウェブの世界を歩き出したころは、いい意味でも悪い意味でもウェブ上に統一性はなかった。個々人がつくるサイトが最小単位で、同時に最大単位でもあった。規模の大小こそあれひとつひとつのサイトは互いに対等で、その上位に存在して個々のサイトを管理するものはなかった。
けれどブログが登場し、HTMLを勉強してデザインを一から考えてウェブサイトを構築するという手間は必要なくなった。自分を表現するためには自分の手で白い紙の上に罫線を引くことから始めなければならなかったのに、今ウェブの世界は自由に書き込めるノートであふれている。人の表現の場がどんどん統合化されていく。方法は簡易になり、企業が自己表現のツールをいくらでも提供してくれる。
そしてその便利さと引き換えに、ブログひとつひとつはすべてブログシステム供給会社の管轄に属すことになる。そうなると、多かれ少なかれそのブログシステム供給会社の風潮ややり方に左右されながら、ブログという自己表現媒体を扱っていくことになる。上に管理するものがいるブログという場で、本当に自由な自己表現になりえるんだろうか? 私にはどうしてもブログという場で自由に活動できる気がしない。ましてやmixiでは絶対に無理だ。だから私はサイトという形態で活動し続けている。
表現の場だけではない。ショッピングサイトは楽天に、本ならアマゾンに統一された。管理人たちが個々の自己所有物としてそれぞれ持っていた掲示板やチャットというコミュニケーションの場はSNSやtwitterに統合され、ひとつの企業の管轄下に置かれた。
統一化が進み、多くの人々が同じシステムの利用者でいる。完璧に区画分けされた四角い島のなかで暮らしているような窮屈な感覚。
また、自社のシステムをオープンにして下位の企業に利用してもらうという形式が増えた。パソコンでも携帯でもグーグル・マップのシステムが搭載されて、オリジナルの地図システムを利用しているツールはなくなっていく。インターフェイスばかりがどんどんと多様化して、実際のシステムの数は淘汰され統合され、減っているのではないか。これもやはり、雑然とした世界からの脱却だ。
私は何に関しても保守的な考え方の人間で、まだブログもないSNSもない、原始のウェブの世界がなつかしい。2000年を原始のウェブというのは間違いだろうけれど、今よりもずっと混沌としていたのは確かだと思う。
私は沙々雪をオフの知り合いに教えることに強い抵抗がある。SNSなどでオフの知り合いとウェブ上でやりとりすることにも強烈な違和感がある。それはたぶん、オンラインの匿名性やアンダーグラウンドな感じをとても気に入っていたからだろう。ブログに抵抗感があるのも、すべてが整頓され白日のもとにさらされている感じになじめないからだ。沙々雪を始めるときも、ブログシステムを利用した方がずっとやりやすいのはわかっていたけれど、あえて旧態依然としたウェブサイトという形式で手間隙をかけることにした。懐古趣味だと思う。
それほどパソコンに詳しくない人でもネットをまったくやらないという人は少なくなった。以前はマニアのものであったネットは、どんどんオープンな場に改造されている。それは仕方のないことだし悪いことではないのだろう。
ただ、個人的な思いとして、ウェブの世界はオフとはまったく違う場所であって欲しい。オフの延長線上にウェブの世界があるのではなく、オフとは無関係の場として、ウェブには存在していて欲しい。薄暗さや雑然とした混沌が残り、またそれが許される場であって欲しい。未統一の混沌は、きっとこれからもどんどんそのスケールを小さくしていくだろう。けれど、私はできる限り、その混沌のなかに身を留めていたいと思う。統一と整頓ばかりがすべてでは、どうしようもなく寂しくなってしまう。
私はこれからも、ウェブ上でオフの知り合いとやりとりすることに違和感を抱き続けたまま、ウェブ上の私の姿をオフの知り合いの前にさらすことに抵抗感を持ち続けたままでいるだろう。
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本の感想とはまったく別の話となりましたが、どうしても書いておきたくて。