映画 > 邦画
『誰も知らない』
制作:2004 年 日本
監督:是枝裕和
キャスト:柳楽優弥 / YOU / 串田和美
>> eiga.com

 1988 年に発覚した、母親に子供 4 人がマンションの一室に置き去りにされた「巣鴨子供置き去り事件」というのがある。『誰も知らない』は、その事件をモチーフに取っている。

 ほんの簡単な情報だけを持っていた私は、観始める前からガチガチに身構えていた。鬼のような母親と彼女に虐げられ泣き叫ぶ子供たちの姿を想像していたからだ。けれど、その恐怖は観始めて数分であっという間に溶けた。映画のなかにいる母親は、決して子供たちを愛していないのでも憎んでいるのでもなかった。現実に目をつむって幻のなかに生きようとする、彼女はただ愚かなだけの女性だった。
 彼らの母親は子供たちに甘えている。考え方から、彼女の発する言葉から、それが透けて見える。子供 4 人を従えて生きる母親は、「私は幸せになっちゃいけないの!?」と叫ぶ。もちろん、幸せになってはいけない人間はいない。しかし、彼女が幸せを求めた後に残されたのは、子供たちだけで構成される、狭く真四角な箱のなかの閉じた世界だ。母はその現実を知りすらしない。

 子供たちしかいない世界はおままごとのようであり、おもちゃ箱のなかでする遊戯のようであり、お伽話のようだ。そんな、世間という大きな世界から見ればあまりに異質な小さな空間に落ち込み、ふたりの妹とひとりの弟を抱えて、明はすべての現実を一手に引き受ける。12 歳の明の手はあまりに小さい。それでも、明はその手で現実と渡り合おうとする。
 自身も子供でありながらより子供である弟妹に明が見せようとした夢の世界と、彼自身が生きている現実が、伏線と呼ぶのもためらわれる小さな構成のひとつひとつから観客にははっきりと見える。その夢と現実の境の壁はあまりにもろく、そのもろい壁を守ろうとする明の懸命さは痛ましく、安易な同情すら許さない。

 この映画を見て、「子供だけでもこれだけ生きてゆけるものなのか」と思う人がいるだろうか。そう見て見えないこともないけれど、それはちがうはずだ。現実は、「子供だけでは死ぬことすらできない」のだ。
 収入はなく、稼ぐ手立てもなく、水道も電気も止められて、大人ならば間違いなく自殺や心中を考える状況になってもなお、子供にはその逃げ道すら見えない。

 私は幼稚園の頃から、誰もいない家に帰ってひとりで過ごす子供だった。祖母に電話越しに「寂しいでしょう」と言われるたび、不思議でならなかった。私にとってひとりで家にいるというのはごく普通の日常であって、寂しいと感じるような要素はどこにもなかった。
 この映画のなかで、「母の帰らない部屋で子供だけで暮らす」というのは、留守がちな母の代わりに家事をこなし家庭を回していくという彼らにとってのかつての日常の延長でしかない。それが、周りから見れば異常な環境で生きる彼らがそれを自分たちの日常として受け止めていることが、私に彼らには決して届かない私自身の身勝手な胸の痛みをもたらす。
2011.02.09